secret color -10-


 新調したばかりのジャケットに袖を通して、ドット柄のシャツとの相性を確かめながら、鏡の前で志生は何度も自分の顔とにらめっこをする。
 テーブルの上には財布と携帯、そして同窓会の案内状。
 高校卒業からちょうど十年経った五月の連休、学年全体の同窓会が行われることになり、志生は参加の返事を出していた。
 この十年の間に、クラス単位の集まりは何度か開かれていたが、志生は呼ばれたり呼ばれなかったりで、一度も参加したことはない。
 あまりクラスに馴染んでいなかったのと、一部の親しい同級生とは別の機会に会ったりしていたので、仕事の忙しさもあって参加は見送り続けていた。
 それに、クラス単位の集まりでは、別クラスだった会いたい人には会うことができない。理由としてはそれが一番で、志生には積極的に参加したい動機がなかったのだ。
 けれど今日、十年ぶりにクラスの垣根を越えて、会いたい人に会えるかもしれない。
(宮村……来るかな。きっと来るよね)
 らしくもなく浮き足立って、指先に取った少量の練り香水を耳裏の肌にのせる。
 今日会えたら、十年あたためてきた想いを伝えようと、志生は決めていた。
 返事などはもとより期待していない。ただ、自分が和司を想って十年積み上げてきたことを携えて、今なら胸を張って彼の前に立てると思ったのだ。
 受け入れられなくても、きっと和司なら嫌悪したり軽蔑したりはしない。そういう信頼が、志生の中にある。
(……ちゃんと、決着つけよう)
 失恋確定でも気持ちは晴れやかで、志生はボディバッグに荷物を詰めて、軽い足取りで一人暮らしのマンションを出発した。

 同窓会の会場は地元のホテルの一室で、既に集まった同級生たちでガヤガヤと盛り上がっていた。その片隅でひっそりと、志生は受付を済ませる。
 十年経てば皆変わるもので、着崩した制服姿しか記憶にない連中も、それなりに大人の装いだ。
 かく言う自分も高校時代には長かった横髪をバッサリ切って、少しだけ背も伸びて、随分と印象は変わっているかもしれない。会えても和司は気づいてくれるだろうか。
 ドリンク片手に賑やかな会場をキョロキョロと見回していると、「葉月」と呼ぶ声がした。声の方向を探って振り返ると、高校卒業後も交流が続く数少ない友人である手塚てづかの姿があった。
「よう、久しぶり。今回は来てたんだなー」
「おー、てっち。元気そうだね、半年ぶりくらい?」
「かな? また今度出張のついでに寄るから、泊めてくれよ。飲もうぜ」
「いいよー、来て来て」
 互いに背中をパタパタと叩き合って、久々の再会を喜ぶ。その挨拶もそこそこに、手塚は周囲を見回した。
「てっち、どした?」
「いや、葉月さっき誰か探してたんじゃねえの? 誰かと待ち合わせしてた?」
「あ……えぇと」
 待ち合わせではなく一方的に探していたのだけど、ともごもご言い訳をしようとして、ふと思い出す。手塚は和司と、高一の時に同じクラスだったはずだ。大垣サクラが一方的に和司を追いかけていたという情報を提供してくれたのもこの手塚だった。
「……宮村、って来てるか知ってる?」
 であれば手塚なら和司の顔もわかるだろうかと、控えめに問うてみる。けれどそのとたん、手塚の表情が怪訝そうに歪んだ。
「宮村? って、宮村和司? おまえあんな一軍と接点あったっけ?」
 疑問を持たれるのも当然で、確かに志生の高校時代は陰キャ代表みたいなポジションだった。誰も二人が美術室で親しく時を過ごしていたとは想像もしないだろう。
「あー、その、見てないならいいんだ」
 取り繕おうとした志生だったが、根っからの世話好きな手塚は、訝りつつも首を巡らせながら情報をくれようとする。
「いや、さっき見たのは見たな。あっちの奥の……ほら、一軍が固まってるとこだ。なんかチャラい感じに育ってたぞ~。いいよなイケメンは、軽薄そうでも女が寄ってきて。俺なんか公務員で安定収入なとこしか売りがねえもん」
 投げやりに手塚が指差した方へ、志生も首を伸ばす。確かに会場の奥の方に、何となく男女ともに容姿の整ったメンツが揃ったきらびやかな一画がある。
 そちらへ目を凝らし、一人ずつ確認していって、志生は見つけた。
(いた……!)
 服装は黒いシャツに褪せたブラックデニムというシンプルなカジュアルスタイルで、高校時代は志生よりも短かった黒髪は肩につくほど伸びている。細かった体躯はかなり筋肉質になったようで、肩の落ちたオーバーサイズのシャツの上からでもがっちりした大人の体型が見てとれた。
 けれど、見た目はどれだけ変わっても、なんだか和司は和司で、思わず志生は笑ってしまった。覇気のない、無愛想な顔。取り巻く人間に向ける、聞く気のなさそうな適当な相槌。
(はは……宮村だ)
 そうそう、そんなだった、と懐かしさが込み上げる。あの白けた表情が、穏やかに綻ぶ瞬間がたまらなく好きだったんだ。
 間もなく会としての同窓会が始まり、幹事がマイクで司会進行をして当時の学年主任が昔話を長々と聞かせる間も、志生は和司の姿をずっと目で追っていた。こっち見ないかな、気づいてくれないかな、と思うけれどその気配もない。
 仲の良かった友人たちと集まって話をしていても気は漫ろで、少しアルコールが進んで皆の緊張が緩んできた頃、手塚に肘で小突かれた。
「おい」
 ひそめた声で、手塚が顔を寄せてくる。
「え……何」
「用があるなら行ってこいよ、宮村んとこ。横でずっとそわそわされたらこっちも気になるんだよ」
「あ、いや、用っていうか」
「クラスの同窓会に一度も顔出さなかったおまえが今日来てるのは、そういうことじゃないのかよ」
 言われてしまえば完全に図星で、志生は赤面して手にしていたシャンパングラスの残りを全部呷って、テーブルに置いた。
「う、うん。じゃあ……ちょっと行ってくる」
 若干酒の力を借りた形で、志生は一歩踏み出す。
 互いに大人になったとはいえ、クラスも人種も違う華やかな集団に近づくには勇気がいる。目立つ前にこちらに気づいてくれないかなという期待もむなしく、こちらを向こうともしない和司に向けて、少し離れた位置から志生は声を絞り出した。
「み、みやむら」
 上ずった声は集団の全員に届いてしまって、彼らの会話がピタリと止まって不審げな視線がぎょろりと志生を振り返る。その中でようやくこちらに視線を向けてくれた和司は、ほとんど変わらない表情の中でわずかに眉を上げた。
「……葉月?」
 呼び返されて、覚えていてもらえた安堵に肩の力が多少は抜ける。「誰?」などと問われた日には、きっと立ち直れなかった。
「少しだけ、時間いい?」
 緊張した半笑いで訊くと、和司はもたれ掛かっていた壁から背中を起こし、こちらへ歩み寄ってくる。その顔が、少し不機嫌に、怒っているように見えた。
「あ、あの」
「おまえ、絵は」
 話を切り出そうとした志生を遮るように、固い声が飛んできて、志生は戸惑った。
「え……?」
「描いてないのか。風景画、昔あんなに描いてただろ。今どうしてる」
「え、えぇと」
 突然の矢継ぎ早な詰問に驚いて、おろおろと志生はバッグの中の名刺入れを探った。引っ張り出したそれから一枚を抜いて、和司の前に差し出す。
「俺、今ここで働いてて。広告のデザインとか作るような仕事で、その関係でイラストを描くくらいはするけど、風景画だけっていうのは今は描いてないんだ」
「なんで……」
 怒ったような顔の和司がなおも問いを重ねようとしたところで、その横からさっと伸びてきた手が、和司に渡した志生の名刺を取り上げた。
「うわっ、なんだこれ、超大手の広告代理店じゃん。おまえ、美術部にいた葉月志生だろ。片耳聞こえないくせに勝ち組かよ」
 不必要に大きな声を上げたのは、こっそり和司の背後に忍び寄ってきていた級友一派だ。
 突然の悪意に狙撃されて、志生は反射的に手で右耳を覆った。社会人になってから、こんな露骨な謗りを受けたことがなくて、精神が一気に学生時代へ引き戻されてしまう。
「いやー、でもこいつの場合、障碍者枠の雇用じゃね? 企業ってそういうの、一定数雇う義務とかあるんじゃなかったっけ」
 志生の名刺は次々に別のメンバーの手に渡り、嘲笑をまるで隠さない野蛮な視線が集中した。
 どうやら皆、調子に乗って酒を飲んで、既にかなり酔っているらしい。恐らくは彼らだって、素面ならばそんな差別的な言葉を声高に吐くようなことはしないのだろう。きっとアルコールが善悪の判断を鈍らせている。
 けれど、だからといって、何を言っても言われた相手が傷つかないわけではない。志生は声も出せず固まって、その場に立ち尽くしていた。
「おい」
 そのとき、和司が志生をその背後に隠すようにして、低い声とともに友人たちを振り返った。
「おまえら、二度と俺にその面見せるな」
 ピタ、と馬鹿笑いを止めた友人たちが、色を変えたその顔を見合わせる。場の動揺を置き去りに、和司は志生の手首を握った。
「出るぞ」
 手を引かれるまま、志生は和司の後を追って歩き出す。背後からは口々に和司を呼び止める声が届き、半分パニックの志生は何度か振り返ったけれど、当の和司は振り返りもしなければ足を止める様子もない。
「み、宮村」
 同窓会の会場を抜け、ホテルの建物からも出てしまってから、どこまで行くのかと呼び掛けた志生に、ようやく和司は振り向いた。
「いいの? あの、友達に、あんな」
 属するグループのメンバーにあんな物言いをしては、今後の友人関係に差し障るのではないかと心配した志生だったが、その手首を掴んだままの和司は不機嫌そうに眉を寄せる。
「いい。あんなのと知り合いだと思われるだけでも迷惑だ」
 心の底からの嫌悪を滲ませて、和司は吐き捨てる。
「……そうなんだ」
 胸の奥がしんと冷たくなって、志生は視線を落とした。
 高校の頃、自分を慕っていた大垣サクラを、和司は同じように切り捨てたと聞いた。
 どうも、和司は差別的な人間に対して、潔癖なところがあるらしい。どんなに親しい間柄であっても、切り捨てるときは一瞬で、終える関係に未練も執着も持たない。
 和司のそういうところが、志生は怖い。卒業式の日に関係が途切れてしまった、自分も切り捨てられた人間なのかもしれないと考えてしまう。
 自分だって和司を傷つけた人間だ。