翌週、ミーティングスペースに呼ばれた來架は、花村から予想通りの相談を受けていた。
「実は、離婚が成立したんだ。それで、その関係でいろいろ手続きがあると思うから、來架に教えてもらえたらって」
花村の左手薬指に指輪がないことに気づいたのは、三ヶ月くらい前のことだったと思う。花村本人にも、その隣席の後輩である瀬野にも、そのことを確認したことはなかったけれど、恐らくそういうことなのだろうという予感はしていた。
花村が結婚したことで、その想いを諦めるしかなかった瀬野。そこにつけこんで手を出した來架。
では、花村が離婚したことで、二人の関係はどうなるのだろう。
考えるのが怖かった。
「……そうか、大変やったな。残念だけど、人と人のことだしな」
まずは労った來架に、花村は苦笑いを浮かべる。
「いやー、ほんと大変なんだよ離婚って。結婚の何倍大変だよって。まだうちは子どもがいなかったからましだったけど、いたらもっと大変って聞くからな」
「そうなんか」
「來架も結婚相手選ぶときは慎重に行けよな」
自虐で笑いを誘おうとする花村に乗ってやって、來架は笑って「肝に銘じるよ」と答えた。
会社に提出する申請関係の説明を一通りし終えると、会話は花村の身の上相談のような愚痴になる。どうやら離婚原因は奥さんの浮気だったようだ。
「もうさ、女は懲りたね」
話の流れでくたびれ果てたように言った花村の一言に、來架は反応してしまう。
「なに、男に宗旨替えする?」
「えー、いや、いきなり男に行くかっつったら行かねえだろうけどさ。でももう再婚とかはいらねえわ。もう、俺でいいって言ってくれる相手と、気楽な付き合いがしたいな。ぶっちゃけ今の俺は、癒してくれる相手なら誰でもいいわ」
「……そうなんや」
それなら、瀬野にも芽はあるのではないのか。
ずっと、瀬野はずっと、他人の夫になった花村を好きでい続けている。伝えることも、通じ合うことも諦めてはいたけれど、それでもずっと。
その想いが報われる可能性は、ゼロではないのではないか。
そうなったら。
(瀬野には……その方がいいに決まってる)
きゅう、と胸が絞られるように痛む。
瀬野のことが好きだから、瀬野には幸せになってほしい。でも彼の幸せは、來架を幸せにはしない。
そこが一致しないのは、始まりから自分が間違ってしまったせいだと、來架は自覚していた。
「花村」
自席に戻ろうとする花村を呼び止めると、呑気な顔で花村は振り返った。
「んー?」
「このことって、もう部署の人たちには言った?」
「あぁ、課長には報告済みだけど、他のメンバーには午後のミーティングで話すよ。式に来てくれた人も多いから、申し訳ないけどな」
「……そっか」
軽く片手を上げて離れていく花村の背中を見送りながら、もうすぐ自分の恋は終わってしまうのだろうと、どうしようもない寂しさを來架は胸に沈めた。
花村が自部署のメンバーに離婚報告をしたその日から、瀬野は一切來架に接触しなくなった。
元々忙しい営業の瀬野と、基本定時帰りの來架とは、会社での居室も違えば出社帰宅の時間も違うので、隣に住んでいても顔を会わせることはない。普段から携帯で連絡を取り合うことも、來架から瀬野の部屋へ行くこともなかったから、瀬野が来なくなれば二人の接点はふっつりとなくなってしまった。
たまに社内で見かける瀬野は、いつも花村の隣にいて、晴れやかな笑顔を浮かべている。花村に向ける視線にも、花村が結婚する以前の熱が戻っているのがわかる。
仕方がないことだと、來架は納得していた。
瀬野にしてみれば、長年片想いしている相手が離婚して弱っている今がまさに狙い目で、來架にかかずらわっている暇などないのだろう。
ノリの軽い花村のことだから、みんなの前でも「女はもういい」的な発言をしたかもしれない。そんなことを聞いてしまったら、きっと瀬野は追い風しか感じられなくなる。
思慕を隠さない、好きが透けた視線を花村に送り続ける瀬野を、來架は遠巻きに見つめることしかできない。
「……がんばれ、瀬野」
笑みを浮かべて、小さく呟く。
同じように、半分野次馬精神で瀬野を応援していた時期があった。二年以上前のことだ。
そのときは、瀬野のことなど好きではなかった。好きになるとも思っていなかった。來架自身がつらい破局を迎えたばかりの頃で、ノンケがノンケを追いかけている滑稽な様を揶揄する気持ちで眺めていた。
呟く言葉は同じでも、その心境は以前とはまるで違う。言葉通りに瀬野を応援することなど、今の來架にはできない。
それでも、瀬野を傍に留め置くことももうできないから。
瀬野から訣別を告げられる時を、來架は黙って待っていた。