好きな人の 好きなひと -03-


 瀬野が泊まった翌朝はいつも少し緊張する。
 情事が終わるとすぐに寝入ってしまう瀬野を起こさないように、來架はなるべくその痕跡を消す。脱ぎ捨てた瀬野のスーツをハンガーに掛け、瀬野に下着とTシャツを着せ、自分もシャワーを浴びて部屋着をしっかりと着込む。
 瀬野はゲイではないので、あまり男と寝た事実を意識させたくなかった。下手にあからさまな事後の姿を見せてしまっては、來架の存在まで不快に思われかねない。
 それに、自分はあくまで花村の代わりだ。いつも向かい合う体位ではまず抱き合わないし、それゆえに最中に顔を見せることも目が合うこともない。
 そうすることは、來架の瀬野に対する精一杯の配慮だった。
「おはよ……」
 來架が遅めの朝食を用意していると、寝ぼけた顔で瀬野が起きてくる。毎度のことながら、二日酔いでだいぶつらそうだ。
「おはよう。コーヒー飲む?」
「うん……ありがと」
「はい、アクエリも。飲んだらシャワー浴びてきたら」
 來架が差し出したマグカップとペットボトルを受け取って、瀬野は億劫そうに首を回す。
「うん……。ねえ、俺昨日も花村先輩に連れて帰ってもらってた?」
「はは、またそこから覚えてないんか」
 苦笑しながら、來架は内心でほっとする。好きでもない男を抱いたことなんか、覚えていない方がいい。
「花村に肩貸してもらって帰ってきて、僕んちのインターホン連打して怒られてたよ」
「あー、また。毎回やるね俺、それ」
「昨日もいっぱい飲まされたん?」
「俺、仕事じゃまだ役に立たないもん。せめて飲んで場の空気作らなきゃ」
「偉いなぁ、瀬野。よう頑張った」
 偉い偉い、と子どもを褒めるように來架は瀬野の頭を撫で回す。少し気恥ずかしげに頬を染める瀬野は、それでも嫌がりはせずにされるがままでいた。
 こういうところが來架の庇護欲をくすぐって、瀬野にはまってしまった原因になった気がする。七つ年下というだけで既に可愛いのに、來架の前で一切の虚勢を張らない瀬野は、小動物的な愛らしさで世話好きな來架を惹き付けるのだ。
「仕事じゃ役に立たんって言っても、そろそろ三年で、花村もきっと瀬野のこと頼りにしとるよ。いろいろ連れてかれてるんやろ?」
「うん、一応」
「ほんとに使えんって思ってたら育てる気にもならんし。花村、瀬野のこと可愛がってると思うよ。よかったなぁ」
 励ましに、來架は笑って瀬野の肩を叩いた。
「あ、そうだ、昨日の映画録ってるから後で一緒に……」
 トースターに食パンを入れようと瀬野に背を向けた、その瞬間に來架は言葉を失う。
 後ろから、瀬野が來架を抱き締めたのだ。
「……せ……」
「あのさ。俺、來架さんに乱暴したりしなかった?」
 低い声が微かな吐息と共に耳元に吹き込まれて、いきなり來架の心拍は倍加した。
「え!? いや、そんなことあるわけないやん」
「ほんと? どっか痛いとこない?」
「ない! 全然! 絶好調!」
「……ならよかった」
 安堵したように呟いて、瀬野は抱き締めた腕を解いて來架の背中から離れる。
「録画ありがと。シャワー借りるね」
 動悸したまま、バスルームの扉の向こうへ消える背中を見送って、來架は大きく息をついた。
(……くっそ、そーゆーとこだよ!!)
 優しいのだ。瀬野はとにかく來架に優しい。
 でも、その優しさが自分を通して別の誰かに向けられていることを知っているから、來架はそれに素直に浸ることもできない。
 乾いて渇いて、なのに潤沢に与えられる水はまるで自分には沁みていかない。
 やりきれなくて、助けを求めるように來架は携帯を取り上げた。
 こんな気持ちを、どう形容すればいいのだろう。
 まあ、言葉が見つかったところで、どこにも吐き出せはしないのだけど。


 シャワーを終えた瀬野と食事をして、ソファーで瀬野を膝枕しながら一緒に映画を見て。
 普通の恋人同士のように時を過ごして、夕方になって瀬野は、週明けの報告会で使う資料作りがあるからと自室へ帰っていった。
 そこから來架は部屋着を脱ぎ捨てて身支度を整えて、夜の街に飛び出した。
 日中のうちに連絡を取っていたセフレの待つバーへ向かい、早々に二人でホテルへ向かう。
 今の來架のセフレは、四十五歳の既婚男性。本人の言うことが正しいなら、苗字は三好みよし、高校生の子どもがいて、現在単身赴任四年目。時間の融通がきくので、週末なら呼び出せばだいたい付き合ってくれる。
 すらっと姿勢が良くていつもきちんとしている身なりは清潔で、あまり特徴のない薄味な顔立ちは來架の好みだ。
 その三好とホテルの部屋に入るなり、來架は彼の足元に跪いた。
「……コージくん、ちょっと待って」
「待たない」
「相変わらず性急だねぇ」
 まだ上着も脱いでいない三好のベルトを外し、ファスナーを引き下ろして中から性器を探り出す。躊躇なくそれを口に含むと、徐々に膨張してくるそれを喉まで突き入れて頭を前後した。
「コージくん、ベッド行こう」
 三好は、來架を『コージ』と呼ぶ。初対面で來架が適当に名乗った偽名がそれだったからだ。
 特に意図したわけではないが、それは花村の名前でもある。三好とセフレになったのが、ちょうど花村が結婚した頃だったから、パッと出てきたのがその名前だったというくらいのことだ。
「ん、ん……早く入れて」
「もう、情緒がないなぁ。きみは私を何だと思っているの?」
「都合のいいチンコ」
「……言い方」
 嘆かわしい、という風情で額を押さえて、三好は自分の性器を舐め回している來架を引っ張り立たせてベッドへ連れていった。
 來架が服を脱ぐのを三好は手伝い、三好も自分の服を脱ぐ。キスをしながら互いに肌をまさぐり、來架の体は熱を上げていく。
 ローションに濡れた三好の手が後ろの狭まりに触れたとき、來架は熱い息を吐いた。
「……柔らかいね」
「ん……」
「昨日やったばっかりって感じ」
「そうだよ」
「また満足させてもらえなかったの? 残念な彼氏だね」
「……知らない」
 三好の巧みな指が、來架の後ろをちゅくちゅくと出入りし、來架の性感を高めていく。
 確かに三好はその点で上手いけれど、瀬野が下手だから來架が満足できなかったのではない。むしろ瀬野とのセックスでは、身体が快楽に深く溺れるほど、來架は渇き飢えていく。
 その飢餓感を払拭するために、來架は三好との交合を求めるのだ。
「あ……三好さん……」
 正常位で、広げた脚を両腕に抱えられ、深く挿入されて來架は頤を反らす。
「可愛いね」
 生理的な涙が浮いた來架の髪を撫でて、露になった白い額に、目元のほくろに、くちびるに、穴だらけの耳朶に、三好はくちづける。
 揺さぶられる度にベッドが小さく軋み、そのペースが上がるにつれて、三好の表情が恍惚の色を帯びていくのが嬉しい。眇めた目が、射るように來架を見つめている。
「あー……ぅあ、あ、いく……」
 自分で両乳首を強くつまんで、來架は身を捩った。その上で來架の奥を激しく突き上げている三好の表情も苦しげに歪む。
「あ、すご……絞られる」
「いく、あ、いく、いく、キスして」
「ん」
「……っう、……~っ……」
 三好の首にしがみついて、キスでくちびるを塞がれたまま、脳天を突き抜けるような絶頂感に身悶える。
 震えながら弛緩していく來架を、三好の目がずっと見守っているのを感じる。それと同時に、來架は、自分の中の承認欲求が満たされていくのを感じていた。