片恋シーケンス -04-


 けれど現実はそう甘くはないと、すぐに幸は思い知ることになる。
 おはよう。いつも通りの挨拶に、言葉は返してくれるけれど視線が合わない。一つ授業が終わるたびに何かと席に来て話しかけてくれていたのに、それもぱったりとなくなった。用があってこちらから話しかけても、早く切り上げたそうに視線を泳がせる。本当は応対もしたくないのだと、態度で語られる。
 考えたいとか、時間をくれとか、要するに直截に言うのを避けただけの、断り文句だったのだ。「離れろ」と同義の、拒絶。
 早々にそれを理解して、幸は愁平への接触を絶った。
 こんなことに、なりたくはなかった。でも、愁平がもうこれまで通りをすら望んでいないなら、仕方がない。幸にはなすすべがない。
 翌日に夏休みを控えたその日も、授業が終わるなり愁平は避けるように先に帰ってしまった。去年は夏休みに三人でどこかへ行こうと幸の部屋で相談したのだけど、今年は声をかける隙も与えられなかった。
 教室を出ていく愁平の背中を見つめて肩を落とした幸の背後から、「岸川」と低い声が呼びかける。
「……おまえら、なんかあったのか?」
 これまで様子のおかしな二人に気づいていながら静観していてくれた晃生が、さすがに心配して問うてきた。
「……ここじゃ、ちょっと」
 薄く笑って場所を変えることを提案した幸に頷いて、晃生は幸と連れ立って教室を出た。
 校舎から一歩外に出ると、盛夏へ向かう強い日差しに射られて、それだけで気力を持っていかれそうになる。もう幸は、自力で立っているのもいやだった。
「大丈夫かよ?」
 晃生がふらつく幸の腕を掴んで日陰に誘導してくれる。スマートなその仕種に、あぁこれはモテるはずだよな、と腑に落ちて幸は笑った。
「なに?」
「ううん。水上がモテるのわかるなぁって、実感しただけ」
「なんだよ今更」
「そういうのが厭味にならないのもすごいよね。事実でしかないっていう」
「お姫様抱っこで連れて帰ってやろうか?」
「やめてよ、本気でやれそうだから怖い」
 軽口をたたいて笑い合って、そういえばこんなふうに笑えるのも久しぶりな気がして、幸は晃生に内心で感謝した。
 部屋に着くと、涼しいリビングのテーブルの上にメモが置いてあった。日中に家事をしてくれている家政婦から、明日から土日で来ないから、二日分の食事も冷蔵庫に置いてある旨の書置きだ。読んだメモをそのままゴミ箱に落とすと、晃生が「なにそれ?」とゴミ箱を覗く。
「家政婦さんから。飯作って冷蔵庫に入れてるよって。よかったら水上も食ってく?」
「家政婦が通う高校生かー。やっぱお宅、お金お持ちですよね」
「親がね」
 笑って荷物を降ろし、二人並んでソファに腰かけた。木製のフレームが小さく軋む。
 たぶん黙っていれば晃生が無理に聞き出そうとすることはないから、幸は自分から「実はさ」と話を切り出した。
「俺、愁に告白したんだ」
「えっ」
 冷静に、そうか、くらいの反応をするかと思っていた晃生が、思いがけず驚きの声を上げる。
「そんな驚くこと?」
 訊くと、晃生は慌てた様子で耳朶を引っ張った。
「……いや、岸川ってそういうタイプじゃないと思ってたから。おまえら、ここ最近全然まともに喋ってないだろ。そういうことになるリスクを、ちゃんと考える程度には思慮深いっていうか、慎重な方だと思ってたわ」
「俺もまさか告白はしないと思ってたよ」
 やはり似合わない愚行に及んだのだと再認識して、幸は苦く笑う。
「……けど、言わずにいられないっていうか。そういう瞬間が、あるんだね。俺も知らなかったよ。前に愁が言ってた、よっぽどじゃなきゃ告白しないって話、あれがよくわかった。やっぱり告白するって、よっぽどのことなんだよ」
 目を伏せ、幸は歪む口元に悔恨を滲ませる。
「理性が及ばないことをしちゃったら、後悔のしようもないんだね。愁にまで気を遣わせてさ。一応俺の手前、考えたいって言ってくれたんだよ。普通に考えて無理だよね。ほんと、バカなことした」
 語尾が震えて、泣けてくるのがみっともなくてくちびるを噛む。
 言わなくていいことを秘めておけなかった自業自得。このまま愁平と絶交状態になることも、幸は覚悟していた。
「――岸川」
 思い詰めた顔の幸を、低く晃生が呼ぶ。返事をしようと顔を上げた瞬間、視界がぐるりと回った。
「……え?」
 目の前には整いすぎた晃生の顔。その向こうに天井の電灯があって、幸は自分がソファに横たわっているのだと知った。
 感情の見えない顔で、晃生が自らの制服のネクタイに指をかけて抜き取る。腹に乗り上げてきた晃生がそれを幸の両手首に巻きつけ、ソファの肘掛けに結びつけたところでようやく、幸は何か尋常じゃない事態になっていることに気づいた。
「水上!?」
 暴れようとしても、一八〇オーバーの体躯にのし掛かられ、両手を縛られて固定されてはろくな抵抗もできない。
「なんだよこれ、冗談よせよ、水上っ……!!」
 大声で怒鳴る幸のくちびるに、しー、と晃生の人差し指が押し当てられる。
「愁平だと思っていいから」
 笑いもしないで意味不明なことを言って、晃生が幸のネクタイに指をかけて抜き取っていく。
「なに、なにして……やめろって!!」
 必死にかぶりを振るけれど、意に介さない強引さで晃生はそのネクタイで幸の両眼を塞いでしまった。
「いやだ、やめてくれ!! 頼むから!!」
 本気で抵抗しているのに、ネクタイが食い込む手首が痛むばかりで、晃生はびくともしない。いよいよ恐怖でいっぱいになったところで、不意に晃生のくちびるが左耳に触れた。
「……ユキ」
 ネクタイの中の真っ暗な視界が、ぐにゃりと歪んで呼吸が止まる。
 吹き込まれた、愁平にそっくりな声。愁平しか呼ばない呼び名。
 違う。愁じゃない。愁はこんなふうに俺にさわらない。
 わかっているのに、幸の抵抗は止んでいた。
 妄想の中で、何度抱かれただろう。何度汚しただろう。終われば死にたくなるほどの自己嫌悪に苛まれ、自分を呪い、それでも幸はその手に触れられたかった。
「愁」
 泣いた声で、一度呼んだらもうだめだった。
「愁、愁……」
 全身が震え、堰を切ったように求める声が止まらなくなる。
 前を開かれたカッターシャツとたくし上げられたTシャツが両腕に蟠ってさらに自由を奪うけれど、大きな手がじかに肌を這うと、それだけで濡れそうなほど興奮した。
「あぁ、あ、……んん……」
 胸のささやかな突起を舌と指で苛められて、止められない喘ぎが口をついて漏れていく。さらにベルトを緩めて前をくつろげられ、下着ごと腿の半ばまで露にされた場所を撫で上げられて、幸は息を飲んだ。
「いっ……や、あ、あっ」
 手のひらに包まれて軽く上下させただけで、その先端から透明な粘りが落ち、くちゅくちゅと卑猥な水音が上がる。
「や、やだ、恥ずかし……」
 抗議の声を、くちびるに塞がれた。温い舌が口内を侵犯し、幸の舌先を絡め取って吸って、その快感に幸は息を上げた。
 巧みな愛撫で幸はギリギリのところへ追い上げられ、長くそこへ留められて、はしたなく垂れ流した腺液は後孔を濡らすまでになっている。そこへ初めて他人の指先が触れて、幸は内腿を強張らせた。
「……力抜いて」
 欲情に濡れた、晃生の声。余裕を失って、もう愁平の声真似などしてはいないのに、幸は相手を愁平だと思い込もうとした。視野を奪われ半ばトランス状態で、正常な判断や感覚が失われていく。
「あ、あぁ、あ……」
 ゆっくり時間をかけて何度も往復しながら中を探られ、臓腑を内側から触られるような違和感の陰に、確かにある強烈な快感を探り当てられる。無意識に幸は体を捩って逃げを打つが、晃生は優しく強引に幸を引き戻し、丹念にそこを解していく。
 やがて複数の指が抜け、物寂しさを感じる間もなく、熱く滾った怒張が押し当てられた。
「あぁ、愁、来て……!」
 恐怖はなかった。本懐を遂げられる喜びでいっぱいで。
 一息に挿し貫かれて、悲鳴を上げた。
 そのあとのことは、もうよくわからない。激しく突き上げてくる動きに合わせてただあられもない嬌声を上げ、揺さぶられるまま腰を振り、快楽を貪って。
 後先考えずに向かった高処から突き落とされるような絶頂の瞬間、細く幸は愁平の名を叫び――
 ……しかし、そのあとの二人に甘い余韻など訪れることはなく、降りかかってきたのは重い現実だった。
 身の内と腹を濡らして、荒い息が収まるのも待たず、頭と肌が冷えていく。残酷な賢者タイムに、二人して絶望的な後悔に襲われた。
 萎えた雄を抜き出して、晃生が放心状態の幸の身仕舞いをしてくれる。見た目だけは元通りに戻して、最後に幸の両手を解放した。
 赤い環状の擦過傷ができたその手が目隠しのネクタイをのろのろと取ろうとするのを、晃生の手がそっと制す。
「……俺、出てくから。外すのはそれからにして」
 懇願のような晃生の弱い声に、幸は両手をソファに落とした。
「……愁には言わないで」
 掠れた声でようよう頼むと、うん、と頷く声が小さく返る。
 衣擦れとベルトの金属音がして、やがて足音が遠ざかり、玄関ドアの開閉音が聞こえた。自分の呼吸と時計の秒針の音しか聞こえない空間に、取り残されたのだと知って奇妙な安堵に捕まる。
 起き上がれないまま、ようやく幸はネクタイを外した。
 目隠しをされる前よりも眩しく感じる天井。ここで自分たちは、取り返しのつかないことをした。
 愁平の顔を思い出そうとする。大好きな、屈託のない笑顔を。けれど浮かぶのは固い表情で疎ましそうに視線を外す姿ばかりで、もうあの笑顔は眼裏にさえ訪れてくれない。
 嗚咽が喉をついた。ぎゅっと、しわくちゃになったネクタイを瞼に押し当てる。
 誰か、もう一度俺の視界を塞いでくれないだろうか。
「……あぁ――……!!」
 絶望に、幸は声を上げて哭いた。