「そーいや、中井が花村に玉砕覚悟で告ったらOKもらえたらしいって。聞いた?」
ファストフード店でポテトを片手に、愁平が言う。格付け三軍の男子が一軍女子とつき合えることになったという噂はすぐに広まり、意気地のない男子たちのやっかみを買う事態になっていた。
不快げに、晃生が眉を寄せる。
「あぁ、ネットに中井の中傷がけっこう書き込まれてるって話を聞いたわ。身の程知らずだとか」
「俺はすげえと思ったけどなあ。普通に考えると高嶺の花じゃん? 手ぇ伸ばさないと届かないわけで、でも伸ばす勇気もないやつが大半なわけで。それを中傷する意味がわからん。どっちが身の程知らずだよ」
潔癖というのでもない、至ってまともな考えを堂々と言う愁平を、少し羨ましい気持ちで幸は見た。誰のことも分け隔てない愁平に対し、ただ好きという以外に、憧憬のような感情もある。
「……愁は、好きな子に告白しようと思ったこととかあるの?」
さりげなさを全力で醸して幸が問うと、愁平は考え込むように「うーん」と唸って苦笑した。
「俺は中井のことすげえなーって感心してる側だからな。そんな度胸もねえし」
誰か思い浮かぶ相手でもいるのか、愁平は天井を見上げる。
「可愛いとか、つき合いたいとかは思うけど、相手は俺のことどうとも思ってねえだろうし、言って気まずくなる方がいやだ。告白するとかよっぽどだと思うし、逆に言えば告白したいほど好きなやつもいないってことだろうな」
確かにこれまで愁平から恋バナを振られたこともないし、今のところ本気でつき合いたいと思うほどの相手はいないのだろう。それを確認して安堵して、幸はこっそり胸を撫で下ろした。
「それより問題は晃生だろ!」
「え、俺?」
急に愁平から話の矛先を向けられ、晃生がきょとんと顔を上げる。
「おまえなんか告白されるの日常茶飯事じゃん! けど一回もOKしてるとこ見たことないぞ。そのうちモッタイナイオバケが出て罰が当たるんだからな!」
「モッタイナイオバケって」
高二男子の語彙じゃねえな、と吹き出して、晃生はドリンクをテーブルに置いた。
「勿体なくても、本気で好きでもない子とつき合う方が不誠実だろ。俺はつき合うとしたら、お互いに本気で好きか、お互いに遊びって割り切れる相手だけでいいや」
誠実不誠実の定義がよくわからなくなるようなことを、しかしこの顔が言うならそういうものなのだろうと思うしかない説得力を伴って晃生は爽やかに語った。
「っかー! 言えねえ! 俺にはそのセリフは言えねえ!」
「つうか、それより来年は受験生なんだし、そっちの方が大事だろ?」
「っかー! その厭味も俺には言えねえ! 中間考査は頼んだぞ皆の衆!」
「諦め早いって。まだ先なんだから、その間に頑張ればいいじゃん……」
晃生や幸に頼る気満々の愁平に幸がぼやくと、愁平は悪びれずにからっと笑った。
その笑顔がどうしようもなく好きで、押し込めるために幸は、苦笑いすることしかできない。
五月に入ると、月末の体育祭に向けた準備が本格化してくる。連日放課後もそれぞれの役割に応じて看板作りやらリレー練習やらに精を出すのだが、ある日のホームルームでは、クラス全員に青と白の細長い布地が配られた。
「この布で各自ハチマキを縫ってきてください。縫い方は一緒に配ったプリントに書いてあります。手縫いでもミシンでもどっちでもいいです」
体育委員の説明に、ブーイングは起きないまでも、クラス内がざわつく。
毎年のこととはいえ、裁縫が不得手な者にとってはあまり嬉しいことではない。しかし得意な者にとっては、いわゆる『女子力』をアピールする絶好の機会だったりもする。
「ねえ、水上くんのハチマキ、あたし縫ってあげよっか?」
女子の一人が声を上げると、「ちょっと待って!」の手が至るところで上がる。
「あたしも縫えるよ、ミシンでちゃちゃーっとやっちゃえばすぐだから!」
「なんかそれ雑じゃない? あたし手縫いで丁寧にやるよ、なんなら名前も刺繍して!」
「いや、俺自分で縫えるし……」
辞退する晃生の声は届かないのか、女子数名がじゃんけんまで始めるのを他の男子一同が呆然と見つめていると、ふと愁平の席の前に一人の女子が立った。
「あたし、井浦のぶん縫おうか?」
「はっ?」
愁平が上げた声と同じ反問を、幸も上げそうになって思わず口元を押さえる。
「井浦、家庭科の裁縫苦手だったよね。よかったらあたし代わりに縫うよ」
愁平を名字で呼び捨てるのは、愁平と中学校が同じだった林夏希。さばさばした性格で、セミロングの髪がよく似合う美人だ。
親しげに愁平と話しているのは頻繁に目にしていたが、あからさまな好意を向けるところを見るのは初めてで、幸は呼吸も忘れてそのやり取りに見入っていた。
その布を渡さないで。
しかし幸の祈りも空しく、愁平は無造作に生地を畳んであっさりと渡してしまう。
「まじか。サンキュー、助かるわ」
明るく礼を言う愁平を見て、きゅうっと胸が痛くなった。
ハチマキくらい俺も縫ってあげられるのに。
けれどそれを申し出たところで、愁平は男友達に縫ってもらうよりも夏希を選ぶだろう。選択から漏れるよりは、黙っていた方がダメージは小さい。
「愁平、俺も縫ってやるぞ」
いつの間にか女子のもめごとから逃げてきていた晃生が、雑ぜっ返すように名乗りを上げる。
「なんでだよ。なんで自分の人に縫わせといて俺の縫うんだよ」
「いや、だから俺自分で縫うし。聞かねんだもん、あいつら」
「もう自分で縫うとか許される雰囲気じゃねえぞあれ。じゃんけんの勝者決まったんじゃね?」
「まじかー。じゃ、岸川の縫ってやろっか?」
「え?」
晃生から急に話を振られて、幸は動揺して視線を泳がせた。
「……や、俺は、自分でやるよ」
うまく笑えているかがわからなくて、幸は手の中の布に目線を落とした。
――俺は、愁を、好きじゃない。
毎朝何度自分に言い聞かせても、打ち消そうとするほどに好きの気持ちは楔のように幸の心に深く刻まれていく。
けれど幸の気も知らないで、体育祭までの毎日、頻繁に愁平と夏希は二人きりで談笑し、その姿から幸は目をそらすことができないでいた。
林は愁を好きなのかな。愁も林を好きなのかな。二人はつき合うのかな。恋人同士になって、手をつないだり、キスしたり、抱き合ったりするのかな。
最近背が伸びて一七五センチになったと言っていた愁平に並ぶ夏希は、ちょうど愁平の肩くらいまでの背丈で、その身長差が似合いすぎていて幸は泣きたくなる。
華奢でやわらかそうな体つきの女の子と比べて、幸は細身とはいえ骨太で、背も一七〇センチをこの間超えた。いやそれ以前に、比べるまでもなく男である幸は愁平の恋愛対象外なのだ。
――大丈夫、俺は愁のことなんか好きじゃないんだから。友達の幸せを、祝福してあげられるはずだ。
そう思うのに、どうしてこんなに胸が痛むのかと、理由を顧みれば女々しい自分にほとほと愛想が尽きる。
体育祭は、晃生の活躍もあって大いに盛り上がった。
最終種目のクラス対抗リレー、三位でバトンを受け取ったアンカーの晃生は、全学年の女子の黄色い悲鳴の中、あっさりと二人を抜き去って優勝のゴールテープを切った。たぶん、この一幕だけで校内の晃生ファンは倍増したことだろう。
「なんなんだ、あいつのチートっぷりはどこまで許されてんだ」
「そうだねぇ……」
出来すぎた展開に驚きを通り越してもはや唖然として、大勢に囲まれている晃生を離れて眺めている愁平の後ろで、いつものように幸は苦笑いした。
けれどいつもと違って、どこか愁平の背中が気落ちしているように見える。いつもなら、晃生の元に駆け寄って、嫌がられながらヘッドロックをかけたりしそうなものなのに。
ただ黙って人だかりを遠巻きにしている愁平に、幸はそっと寄った。
「……なんかあった?」
控えめな優しい問いに、愁平が目を瞠る。なんもない、と言おうとしたのか一度口を開いて、そのまま弱い笑みを浮かべた。
「ユキには隠し事できねえなぁ」
諦めたように息をつき、グラウンドの片隅に腰を下ろす。
「昨日、林と話しててさ」
夏希の名が出て、幸の胸を冷たいものが触る。
それ以上は聞きたくない、と思ったけれど、愁平は弱く続けた。
「晃生に告白したいから、協力してくれないかって、相談だった」
「え……」
それは幸にとっても予想外の話で、無防備に驚きの声が口をついてしまう。
「俺さー、ちょっと期待しちゃってたんだよな。もしかして彼女できるかもって。べつに林のことが特別好きだったわけでもねえけど、もし好かれてんなら悪い気はしなくてさ」
はあぁ、と深く息をついて、のけ反った愁平は空に向かって「勘違い!」と吐き捨てた。
「あーもう、超恥ずかしい俺。晃生目的の女が俺なんか相手にするわけがねえのに。かっこわり!」
「そんなことないよ」
顔を覆った愁平に、幸は考える前に言っていた。
「愁は恥ずかしくも格好悪くもないよ」
根拠は伝えられないけれど、強く言い切った幸に、愁平は少し湿った笑みを見せる。
「サンキュな。そんなこと言ってくれるの、ユキだけだわ」
そう言って落胆を振り捨てるように立ち上がると、まだ人だかりの中心にいる晃生に向かって、まっすぐに駆け出していった。
長身の首に絡んでいき、大笑いしながら案の定ヘッドロックをかけている。周りの女子が呆れたように愁平の幼稚な行いを諌めながら、でも愁平と晃生の仲が良いのを皆知っていて、誰も愁平を強く咎めたりはしない。
ちゃんと誰からも愛されるキャラクターなのに、ご近所の水上さんちの晃生くんが同級生だったがために、そことの対比でいつも少し損をしている。それを少しも何かのせいにしたりしない愁平を、幸は本当に強くて格好いいと思う。
数日後には、夏希との約束通り、晃生を呼び出して夏希と引き合わせる役目をきちんと愁平は果たした。
さすがにその日は愁平だけ先に帰ってしまって、放課後残っていた幸の元に困惑気味の晃生がやって来た。
「どうなってんだ。愁平に呼ばれて第二校舎に行ったら、愁平の彼女候補に告られたぞさっき」
「OKしたの?」
「するかよ。林って愁平といい感じなんじゃなかったのか?」
「だよねぇ。俺もそう思ってた」
林も林で、水上狙いなら愁と懇意にしていたのは愚策だったよな、と思いながら苦笑した幸を、晃生は静かに見つめる。
「……おまえ、へこんでたもんな」
意味深に呟かれても、幸は否定しない。たぶん自分の愁平への気持ちが、晃生には見透かされているのだろうことには気づいていた。
「今は浮かれてるのも、バレてる?」
「浮かれてるってほどじゃなさそうだけど」
それでも夏希と愁平との仲にやきもきしていた頃と比べると浮揚は明らかなのだろうと、自分に呆れて幸はため息をついた。
「俺、最低なんだ。愁に彼女ができなかったことを喜んでるんだよ。愁はそれなりに傷ついてるのにさ。あいつが幸せになれなかったことを、喜ぶようなやつなんだよ」
自分には見込みがない。なのに他の誰かと結ばれることも許せないなんて、一生愁平が幸せになれないことを望むようなものではないのか。だとしたら幸は自分の人間性を疑わざるを得ない。
「……人を好きになったら、誰でも利己的になるもんじゃないか」
慰めてくれる晃生の声は、とても優しくて。
「でも、苦しいよ……」
つい幸は、晃生の前で弱さを晒してしまった。