「で、あの手はなんだ」
昼休憩の屋上で、食べ終えたコンビニ弁当のふたを閉めながら、詰問口調の紺野の問いに奏太はぐっと詰まった。
「なんだと言われましても……」
「まともに会話すんのが今日初めての同僚と、手ぇ握り合うのかおまえは」
「握り合ってはないですって!」
ビル風を遮る壁の陰で、尋問に困った奏太は首を掻く。
奥寺と当麻も昼食に誘ったのだが、奥寺は導入教育中に親しくなった総務の女性陣と弁当ランチだそうで、当麻も通勤途中に買った昼食があるとかで、結局いつも通り紺野と奏太とで昼休憩を過ごすことになった。
どこかの定食屋に入っても良かったのだが、ちょっと話そうぜと言う紺野に逆らえず、コンビニへの買い出しとなって今に至る。
「……あれはたぶん、イケメン特有の距離感ミスだと思うんですよ」
「はぁ?」
わけがわからないと、紺野は盛大に顔をしかめた。
「あのね、俺みたいな十人並みは、特に異性と接するときは、不快感を与えないように気持ち悪がられないように、適切な距離というのを常にはかりながら、意識しながら生きてるわけですよ。これはなかなかの労力を伴うわけです」
「……ほう」
「一方イケメンはですね、紺野さんも含めた話なのでよく聞いてくださいね、初めから近づきすぎても気持ち悪がられることもないし、むしろ相手もウェルカムなので、そもそも距離感をはかるとかいう努力をしなくても余裕で生きていけるわけなんですよ。この努力を怠って生きてきた者は、しばしば距離の取り方を誤って、無駄に周囲を動揺させたりするわけです。わかりますか?」
「俺そんなことしてるか!?」
「紺野さんは別の性格的な要因でパーソナルスペースが広いタイプなんで大丈夫です」
「……なんか引っ掛かる言い方だな」
「まあとにかく、無自覚な人たらしは厄介だという話です」
話を切り上げて、奏太は片付けた弁当ガラを脇に置く。そしてこっそりと、隣の紺野の手を握った。
「……それに、俺がさわりたいのは紺野さんだけですし」
ぼそぼそと言ってはみたものの、そんな慣れない台詞は思いの外恥ずかしくて、奏太は顔を俯けて首まで真っ赤になってしまう。
その奏太の手を引いて、紺野はぎゅっと頭ごと抱きしめた。
「なら許す」
「……やばい、恥ずか死ぬ」
「そうか?」
「紺野さんが、そんなふうに妬いたりとかすると思わなかったから」
「そりゃするだろ、他の男に触らせてたら」
触らせたなどと人聞きの悪い言い方に奏太が顔を上げると、すかさず紺野はくちびるを寄せてくる。
「ん……」
「……だって俺んだろ」
「うん……」
覗き込んで来る紺野の目がやたら熱っぽくて、奏太はどぎまぎしながら紺野の胸を押した。他に人はいないとはいえ、ここは職場の屋上だ。
けれど紺野は奏太を抱いた腕を緩めようとしない。逆に強く抱き込まれて、奏太は態勢を崩して紺野の胸に倒れ込んだ。
「……なあ、今日うち来いよ」
耳元に囁かれて、ぞくっと肌が粟立つ。
「だ、だめです」
「なんで」
「だって、まだ平日で……月曜なのに」
「何もしないから」
「絶ッ対ウソなやつですよね!?」
「じゃあー、今日は無理させないから」
今日は、という不自然な限定に、はっと週末のことが思い出されて奏太は耳に血をのぼせた。
どちらかといえば穏やかなセックスしか経験がなかった奏太が、先日生まれて初めて失神してしまった。
よすぎて、というのが実際のところではあるけれど、正直、怖さのほうが上回っていたように思う。
自分の意思で呼吸もままならなくなったときのあの感覚は、あまり思い出したくないものとして記憶されている。
「あの……その件なんですが」
「うん?」
自分とつき合ってくれているだけでありがたいのに、その上紺野のやりたがることに注文をつけるなど笑止千万だとは思う。
でも、紺野は日頃から奏太のやりたくないことはしたくないとも言ってくれていて、希望を伝えるための少しの勇気を出してみようと奏太は思った。
きっと紺野はそんなことで奏太に愛想をつかしたりはしない、大丈夫。
「俺、あの、し……失神するまで、とか、そういうのはちょっと」
苦手で、と言いかけた声は、しかし続かない。言葉にしてしまうと足元が揺らぐようで、奏太は自分の前髪を掴んだ。
「あ……いや、やっぱなんでもないです。紺野さんがしたいなら、いいです、何でも」
つまらないやつだと、少しでも思われるのが怖い。紺野を信用していないわけではないけれど、それでも。
精一杯のぎこちない笑みを貼り付けて即座に取り下げた奏太の両手を、ぎゅっと、紺野の両手が握った。
「良くねえだろ!」
「えっ……」
顔を上げると、真剣な双眸に捉えられた。
「この間は悪かった、俺ちょっと調子に乗ってたわ。おまえがいやがること、まじでしたくないんだよ。知らずにやり続けて、おまえに嫌われたくないし」
「……紺野さん」
「俺なりに、おまえのこと大事にしたいと思ってんだ」
強く抱き直されて、奏太は紺野の胸でほっと息をついた。
安心する。この腕の中に居場所があると感じられる。
何にも代えがたい安堵のなかで、奏太は紺野の背に腕を回した。
休憩を終えて席に戻ると、隣でPCのセットアップに勤しんでいた当麻が、しらっとした顔で奏太を見つめてきた。
「ん? 何?」
口元にでも何かついているかと顔を撫でながら問うと、当麻はこてんと首を傾げた。
「何かいいことでもありましたか」
「へっ?」
「顔が赤くてにやついてます」
「!」
図星を突かれたことも、その図星の内容もひたすらに恥ずかしくて、「何もない!」と発した見え見えの否定は見事に裏返った。