秋の夜長の迷い道 -02-


 週明け、始業時間を少し過ぎてフロアに入ってきた社長は、パンとひとつ大きく手を叩いて社員の注目を集めた。
「はい、おはようございます皆さーん。先月入社された社員さんお二人の導入教育が、先週までで無事終了しました! ご協力ありがとうございました! 早速ですが今週から、お二人には即・戦・力としてですね、アプリ開発チームの方で頑張っていただこうと思いますのでハイ、改めて自己紹介どうぞ!」
 どこかの芸人の前説のような流暢さで自己紹介を振って、社長が場を譲ると、控えていた若い男女が控えめに前に出た。
「奥寺栞里です。前職では五年間、主にオブジェクト指向系言語でのアプリケーション開発を行ってきました。まだまだ未熟ではありますが、どうぞよろしくお願い致します!」
 黒いシックなワンピース姿の黒髪ロング美女は、そう明るく挨拶をして深く頭を下げた。
「はーい、奥寺さんです。彼女にはですね、とりあえず朔ちゃんについてもらって、いろいろ勉強してもらおうと思ってまーす」
「俺ぇ?」
 社長に急に話を振られ、聞いていないと紺野が目を瞠る。
「俺あんまりメンターとか向いてねえんだけど」
 面倒くさいのを隠そうともしない紺野に、社員たちはどっと笑い、隣で奏太は苦笑した。
 そんなことを言いながら何だかんだ面倒見がよくて、転職してきた奏太が仕事に慣れるまで、トレーナーとトレーニーの関係で育成してくれていたのが紺野だったのだ。
「大丈夫だからね奥寺さん、朔はああ見えて仕事はできる子だから」
「よろしくお願いします」
「……よろしく」
 本人の手前、あまり強く拒否もできないのか、渋々を表に出して頷いた紺野をにやにや見ていると、視線に気づいた紺野に睨まれた。
「はい、じゃあ続いて色男ー」
 社長に促されて、奥寺の隣の男が「そんな振り方されると出にくいんですけど」とぼやきながら一歩前に出た。
「当麻勇二です。前職ではクライアントアプリをかじったあと、二年くらいWebアプリをやってました。よろしくお願いします」
 頭を下げた男は、社長が色男と紹介するだけあって、ちょっと見ないくらいに整った造作をしていた。整いすぎていて、笑みのないしらっとした表情は愛嬌を感じられず、なんだか冷たそうだ。
 人によっては清潔感に欠けると思われそうな長い前髪も無造作でお洒落という判定になるのだろうし、シンプルなバンドカラーの白シャツもスタイルがいいせいかやたらはまって見えるし、なんだか世の中の不公平を詰め込んだみたいな人だなと思う。
 背は紺野さんよりも更に少し高いかな。二人とも高身長で美形だけど、やっぱり俺は紺野さんの方が……
 なんてことを考えていたら、奏太は満面笑顔の社長とばちっと目が合った。
「はい、イケメン当麻くんです。彼には、かなたんについてもらおうと思ってまーす」
「えぇっ!」
 名指しされて、奏太は素っ頓狂な声を上げた。
「俺なんか、社歴も浅いし、何も教えられることないですよ?」
「いやいや、かなたんも朔に叩き上げられてずいぶん成長したでしょー。それにWebは人材の補強って意味もあるから、かなたんの溢れてる分を分担してもらえるように、仕事の流れを教えてあげてね」
「は、はあ……」
 困惑ぎみに社長の隣を見やると、当麻が冷ややかに奏太を見つめていた。
「よろしくお願いします」
「あの、はい。こちらこそ」
「はーい、じゃあ解散でーす」
 集めたときと同様にパンと手を叩くと、社長は自席へ戻っていく社員たちの間を縫って、奥寺と当麻を伴って奏太と紺野の元へやって来た。
「おいこら社長、事前整合しとけよな」
 相変わらずの態度で文句を言った紺野に、社長も悪びれる様子はない。
「先に頼んで断られても困るし、みんなの前で言っちゃって既成事実化した方が楽かなーと思って」
「柚木はとばっちりじゃねえか」
「それは悪かったけど」
 ふと、社長は奏太を見つめ、にっこりと笑う。
「……かなたんは朔と一蓮托生だから、仕方ないじゃん?」
「え」
 笑いかけられて、奏太はどきっとした。
 紺野とのことは誰にも気づかれていないはずだと思っていたけど、まさか社長は知っているんだろうか?
「てことで早速席のレイアウトの話をしたいんだけど」
 奏太の内心の動揺を気取るそぶりもなく、社長は今紺野と隣り合っている奏太をひとつ前の列に移し、紺野の隣に奥寺が、奏太の隣に当麻が座るのでどうかと提案し、四人はそれで了承した。
「本当はフリーロケーションのはずなんだけど、みんな高スペックのデスクトップPC使うから、開発部隊はどうしても席が固定化しちゃうんだよね。状況が変われば自由に席替えしてくれちゃっていいから」
 じゃああとは若い人たちでよろしく、と社長は戻っていき、どうせなら今席移動してしまおうかと、その場で引っ越しが始まった。
 新人二人分のパソコンを総務へ受け取りに、紺野と奥寺は部屋を出ていく。奥寺のために早く席を空けてあげなければと、奏太も荷物の移動を始めた。
 奏太が重たいドキュメントの類を机の下から引っ張り出したり、机の上の機器類のコネクタを外したり、とバタバタ作業していると、でかくて重いディスプレイをひょいと当麻が持ち上げた。
「手伝います」
「え、あ、ありがとう」
「今と同じ配置でいいですか」
「うん、大丈夫」
 てきぱきと当麻は奏太の席から物を移動させ、彼の完璧な整線で引っ越し先の机も見る間に片付いていく。
 結局力仕事のほとんどを当麻が代わってくれて、奏太の移動は十五分ほどで終わってしまった。
「ありがとう、助かったよ!」
「いえ」
 奏太の満面の笑みにも、当麻はそっけなく返すだけ。機能していなさそうな表情筋と、言葉数の少なさは第一印象の時のままだ。
 けれど、礼を言われてふと視線をそらした仕草に、奏太はあれ、と思った。
(……もしかして照れた?)
 ぐいっと腰を曲げて、そらした視線の先を覗き込んでみる。
「……? 何ですか」
(うーん、視線は冷たい)
 それでも、何も言わずに力仕事を率先して手伝ってくれたのは事実で、奏太は「ううん何でもっ」と返して席についた。
 怜悧、という印象の顔立ちと言葉数の少なさで取っつきにくい印象があるけど、実は案外イイやつ、というパターンなんだろうと納得する。
 システム屋にコミュ障はよくある話だ。紺野だって、口の悪さが災いしてきつい性格だと誤解を受けやすい。奏太にしてみれば、あれほど優しい人はそういないと思うのだけど。
「当麻くんは、歳いくつ? とか訊いていい? これってハラスメントかな?」
 会話のきっかけにと問いかけると、当麻はしらっとした顔で小首を傾げた。
「男同士でその程度はハラスメントにならないんじゃないですか。二十五です。あと、くん要らないです」
「じゃあ、当麻。俺も二十五で、冬に二十六になるんだけど、もしかして同い年?」
「いえ、僕は五月に二十五になったばっかなんで、ひとつ下です」
「そっかぁ。でもすごい歳近いし、敬語なしでいいと思うんだけどどう?」
「いえ、先輩なんで、敬語の方が気が楽です」
「……そっかぁ」
 残念、打ち解ける取っ掛かりになるかと思ったのに。
 その落胆を思いきり顔に出した奏太に、初めて当麻は口元を緩めた。
(あ、笑った?)
「柚木さんて、すごい表情に出ますね」
「えっ? そうかな」
「僕の中で柚木さんって、細くて血色悪くて酒に弱い人ってイメージだったんですけど」
「? ……あっ! そうか、歓迎会っ!」
 そういえば奏太は、この二人の歓迎会で酒を過ごして紺野に介抱されたのだ。馴れ初めの発端となった、あの夜。
「僕あのとき、生年月日言わされたんですけど、その様子だと全然覚えてないですね」
「うわぁー、ごめん全然だ。俺あのときちょっと弱っててさ」
「歓迎する気ゼロな人が飲んだくれてんなって、印象的だったんで僕はよく覚えてます」
「ほんとごめん! めちゃくちゃ歓迎してるから!」
「でもさっき、僕のメンターいやそうでしたよね」
「いやじゃない! 全然いやじゃない! むしろやらせていただきたい!」
 反論の余地のない口撃へひれ伏す勢いの奏太に、当麻はふっと吹き出した。
 今度こそ気のせいではない笑みに気をとられていると、おもむろに当麻の手が奏太の手首に触れ、奏太はビクッと肩を震わせた。
「……あのときより、元気そうで良かったです」
「――」
 伏し目がちな微笑に意表を突かれて、重なった手を振り払うこともできずに奏太は固まってしまう。
 と、頭上から「おい」と低い声が降ってきた。
「PC。取ってきた」
 そこには台車にパソコンを二セット積んだ紺野が仁王のように立っていた。
「すみません、ありがとうございます」
 さらりと笑みを脱いだ当麻は、さっと席を立って台車から二人分のパソコンを降ろし、それぞれの机に移動させた。そして先ほどの笑みは幻だったかと錯覚するようなしらっとした顔で、梱包を解いてセッティングを始める。
「あ、お、俺も手伝う」
「いえ、僕は大丈夫なんで仕事始めてください。忙しいんですよね」
「あ、はい……了解」
 すげなく申し出を断られて、奏太はおとなしくパソコンの電源を入れた。
 何事もなかったように振る舞いつつ、しかしその心臓はバクバクと動悸している。
(びっ……くりした~~~! コミュ障かと思いきや、イケメンのイケメン力怖い! あのギャップで男女構わず落としまくってんのか!? しかもどんなタイミングでっ……!)
 恐る恐る、肩越しにこっそりと後ろの席を振り返ると、気づいた紺野が奏太を見やる。
 その視線の、まあ冷たいこと。
(違うし~! ただのイケメン博愛もらい事故だし~!)
 心の釈明は当然ながら届かず、奏太は午前中ずっと、背中に刺さる視線が痛かった。