秋の夜長の迷い道 -01-



 ピピッ、とキッチンタイマーが鳴って、ワクワクを顔全面に出して奏太はテーブルに乗り出した。
「おし、開けるぞ。湯気、火傷気をつけろよ」
 腕まくりをした紺野が、テーブル上の小ぶりなホットプレートの蓋に手をかける。
 少しもったいぶった手つきでその蓋を上げると、もわっと湯気が立ち上り、色とりどりの具材が載ったパエリアが姿を現した。
「うわー! 美味しそう! すごいいい匂い!」
「うん、ちゃんと炊けてるな。よし食うか、皿出せ」
「はいっ!」
 しゃもじでパエリアを軽くほぐす紺野に、奏太はテーブルに準備していた皿を手渡す。よそわれた皿を受け取って、もう一枚の皿を渡す。
 テーブルにはパエリアを炊いている間に用意した簡単なサラダとビールが並んでいて、ランチョンマットにパエリアをセットすると紺野が奏太のグラスにビールを注いでくれた。
「いただきまーす、カンパーイ!」
「乾杯」
 テーブルの角を挟んで隣に座って、二人はグラスを触れ合わせた。
 いい飲みっぷりでグラスを上げ、さっそくパエリアを口に運ぶ奏太に、紺野は目元を緩めた。
「……! めっちゃくちゃ美味いです紺野さん!」
 目を瞠って力説する奏太を、微笑ましく見つめる紺野の視線はいつになく優しい。
「そりゃよかった。本当はムール貝とか使えば見た目も本格的になったんだろうけどな」
 皿の中でぱっくりと口を開いたアサリをつつきながら、紺野は奏太と一緒にキッチンに立った工程を思い返す。
 あまり自炊をしないという奏太は不器用にパプリカを切り、あまり好きではないのかやたら小さくピーマンを刻み、切りにくい鶏もも肉の皮に苦戦していた。
 その横で紺野は米を研ぎ、砂抜きしたアサリを洗い、ホットプレートの用意をし。
 米と市販のパエリアの素を入れたその上に、二人で奏太が切った具材を並べた。
 その間、終始奏太は楽しそうで、その笑顔を見て紺野は心底誘って良かったなと思う。
「俺アサリ大好きなんで、全然、こっちが良かったです。美味しい~!」
「たんと食え。炭水化物摂取しろ。おまえはまだ肉が足らん」
「はぁい。おかわりしますねー、しゃもじください!」
 浮かれた奏太の様子が可愛くて、紺野も上機嫌でグラスを傾けた。

 金曜の夜、会社帰りに一緒に食事するのはほぼ毎週の恒例となっていたが、紺野の自宅で一緒に料理をするというのはつき合い始めてから初めてのことだった。
「おまえ、パエリア好き? 今日俺んちで作ってみない?」
 そう誘われたとき、奏太は二つ返事で行くと即答した。
 ホットプレートで簡単にパエリアが作れる素なんてものが市販されているということにも興味をそそられたが、それ以上に、恋人と一緒に料理をするなんてことをしたことがない奏太にとってそれはものすごいイベントへの誘いだった。
 外ではどうしたって恋人らしいことなんかできないし、家の中ではテレビを見るかゲームをするか、仕事するか、ベッドに行くか……が主になってしまう。
 抱き合うことも、それはもちろん嬉しいことなのだけれど、それだけではないと思えることで体だけではなく心の隙間まで紺野で埋まっていくような、そんな気がする。
 満たされる、ってこういうことか。と、久しぶりの幸せな恋に奏太は浸っていた。
「……はー、おなかいっぱいです……」
 三人前の分量で作ったパエリアを二人でほぼ平らげて、腹まで満たされた奏太はほろ酔いで食器を下げようと腰を上げた。
 その手の食器を横からさっと取り上げて、紺野がこともなげに言う。
「食器は食洗機突っ込むだけだから、おまえ先に風呂入ってこいよ」
「え」
 当たり前のように言われた言葉に、ぶわっと耳まで紅潮した。
「? 泊まってくだろ?」
「あ、あの……はい」
 ……てことは、そういうことだよね……。
 紺野が初めての相手なわけでもなく、かまととぶるつもりもないのだが、回数を重ねても紺野との情事に、奏太は毎回過剰に緊張してしまう。
 これまで男性にしか恋愛感情を抱いたことがないゲイの奏太と違って、紺野は奏太とつき合う前は女性としかつき合ったことのないストレートだ。しかも、見た目も中身もハイスペックで、紺野さえその気になれば引く手あまたであろうモテ男。
 そんな人がどうして自分でいいと言ってくれるのか、果たして自分で満足させられているのか、一向に奏太は自信を持てないでいた。
 普段は通っている近所のジムで風呂を済ませるのだという紺野の家の浴室は常にきれいで、新品みたいな姿見の鏡の前でぼんやりと奏太は自身の裸体を眺めてみる。
 心身の不調が胃腸に出やすく、何かあるとすぐに体重を落としてしまう体は痩せぎすで、着痩せして見えて実は筋肉質な紺野とは比べるまでもなく貧相な体。ふくよかな丸みはどこにもなくて、カリンとしたフォルムは抱き心地云々の次元ではないなと自分でも思う。
 せめて、と精一杯体を清めて、それなりの自己準備もして、風呂を出て紺野の貸してくれた部屋着を纏う。
 交代で風呂に入った紺野をソファで落ち着かなく待っていると、緊張に酔いが回ったのか、だんだんと瞼が重たくなってきた。
 仕事の納期が近くて、紺野も奏太も今週は忙しかった。その一週間分の疲れもあいまって、ふわふわと奏太はまどろみに落ち込んでいく。
「――柚木。そんなとこで寝たら風邪ひくぞ」
 優しい声に、わかっていると答えて起き上がりたいのだけど、どうにも瞼が上がらない。
 うたた寝の心地よさにそのまま寝入ってしまおうかと体の力を抜いた瞬間、胸元を湿った生ぬるさに這われてはっと覚醒した。
「ひゃっ……!?」
「起きたか」
「こ、紺野さん」
 気づけば、ソファの肘掛けを枕に眠っていた奏太に覆い被さるようにした紺野が、オーバーサイズの奏太のTシャツの裾を捲り上げ、悪びれもせずに乳首を舐めていた。
「あ……、何して……」
「何って。泊まりに来てこんなとこで寝こけてたら、そりゃ襲ってくださいってことだろうよ」
「襲っ……!?」
「まあ頼まれなくても襲うけどな」
 戯けて、わざと紺野は強い力で奏太の両手首を掴んでソファに押さえつけてくる。
 けれどくちびるへのキスは甘ったるいほどに優しくて、緩めた歯列をなぞった舌はとろりと奏太の舌を絡め取りに来た。
「……っん、ふ……」
 紺野の動きに応えると、ぐっと口づけは深くなり、角度を変える度に濡れた音が奏太の耳をつく。
 いやらしい、この先を想起させるような水音に、鼓膜から浸食されていくようだった。
「はぁ……」
 糸を引きながらくちびるが離れ、上がった息をつくと、至近距離で紺野が目を細めてにやりと笑う。
「すげえ、やらしー顔してる」
「……っ、どっちが……」
「もう一回ヤり終わったみたいな、とろっとろの目ぇして睨まれてもな」
 恥ずかしがらせるのを面白がる声音でからかって、紺野は押さえつけていた奏太の両手をひとまとめにして、空いた手でジャージごと下着を膝上まで引き下ろした。
「あ、やっ……」
 煌々と灯りのついたリビングで興奮した下半身を露出されるのは恥ずかしすぎて、咄嗟に膝を曲げて隠そうとするけれど、その動きは馬乗りの紺野に阻まれてしまう。
「……ED治って良かったなぁ」
 まじまじとそこを見つめながらデリカシー皆無なコメントを述べる紺野にいい加減羞恥の針が振り切れて、奏太は涙が浮いた目を必死に二の腕で隠した。
「いやだ……」
 固く閉じた膝頭が震えるのに、さすがにからかいが過ぎたかと、紺野は奏太の手を解放した。
「……悪かったよ。泣くな」
「……っ」
「ベッド行こう。な、電気消してな」
 幼子をあやすように言って、紺野はよっこらせ、と顔を覆った奏太を前抱きに抱き上げた。そのまま隣の寝室へ移動し、奏太をベッドに座らせると、さっさと奏太の服を引き抜いて自分の衣服も脱いでしまう。
「機嫌直せよ~」
 並んでベッドに横たわり、紺野はまだ顔を見せない奏太をぎゅうっと胸に抱き込んだ。
 額に何度もキスをしながら、「ゆーぎ。ゆーぎちゃん」などとご機嫌取りの呼び掛けを繰り返す。
 ずるいなぁ、と奏太は思う。どんなに怒っても拗ねても、そんなふうに抱き締められたら許してしまうのをこの人は知っていてやるんだから。
 悔しいけれど、この腕に抱いて欲しいのは自分の望むところで。
 紺野の背に腕を回して抱き返すと、赦免を知った紺野が奏太の顔を覗き込んでキスをしてくる。そのまま体を起こし、キスを深めながらゆっくりと奏太の体を探り始める。
 知られてしまった性感帯を的確に愛撫されて、奏太は紺野の下で徐々に熱を上げていった。
「……ぅ、あ」
 堪えた声に放熱は妨げられて、後ろへの指の侵入に背中が震える。なかのポイントを探り当てられると、ぶわっと発熱して額に汗が浮いた。
「こ、んの、さん」
「……おまえ、風呂で自分で解した?」
「う、うん……すぐ入れても、大丈夫だと思います」
「そんなん俺がするから、おまえは無理しなくていいのに」
 ローションをまとった滑らかな指が、ゆるっと三本差し入れられ、更に濡れた手に勃ち上がった興奮を包まれて、奏太は息を飲む。
 後ろと前を同時に攻められながら、歯と舌とで乳首も苛められて、どうしていいかがわからなくなってきつく瞑った瞼に涙が溢れた。
「紺野さん……、いやだ、いっちゃう」
「いいよ、いって」
「いやだ、紺野さんが、いい。指じゃいやだ」
「……おまえ、あんま可愛いこと言うなよ」
 困ったように笑う紺野の顔が、少し強張る。
 紺野にも堪えるような思いがあるのだと、奏太は嬉しくなってしまう。
 奏太の中に指を含ませたまま、片手で器用にゴムをつけた紺野が、含ませた三本をぐいっと押し広げる。その間に、返しの張った屹立があてがわれた。
「……入れるぞ」
「ん……」
 はやく、と急かしたくなるほどゆっくりとした挿入に、無意識に手足の全部の指を握り込み、震えながら背を撓ませる。
 既に知ってはいるけれど、毎回思い知らされる紺野の形と圧。それが自分をどんなふうにするのかも知っているのに、毎回翻弄されてしまう。
「あ、……ぁ、……っ」
 自分相手に、萎えないでこの身の内を圧倒してくれる存在が、泣きたくなるほど嬉しい。
 すき、と、溢れ返る想いはいつだって言葉にならない。全部が、形を保っていられないほどに融け出していく。
「柚木……、痛くない?」
 ギリギリまで抜き出して、またゆっくりと中を抉っていく、焦れったいほど緩慢な動きで掘り出される快感は奏太の随意運動を不可能にする。
 ガクガクと不規則な痙攣が全身を襲い、奏太は限界を迎えた。
「……っう、あ、あぁっ、……!」
 腹に精液を噴きこぼした、その瞬間。
「ひっ!?」
 ずん、と、それまでにない激しさで突き上げられて、弛緩しかけていた奏太は硬直した。
「あ、ぐ……ぅ、無理、無理っ、ま、まだいってる、のにっ」
 両腕を掴まれて立て続けに突き上げられ、強制的な絶頂が引き延ばされて奏太は悲鳴をあげた。
 どこに底があるのかわからないような高速落下は怖くて仕方がないのに、
「柚木」
 熱に浮かされたような呼び声と、腕に食い込むほどの紺野の手の力強さに、どうしてだか妙な安堵を与えられてしまって、
「……好きだ」
 意識を飛ばす寸前、やっぱりずるい、と奏太は思った。