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三月の頭に高等部の卒業式を終え、下旬には修了式も済ませて、桜がほころぶ学校にはほとんど人気がない。
卒業生の合否報告もこの頃には済んでいて、大樹も悠が志望大学に合格して明日には一人暮らし先へ引っ越すことをLINEで知らされていた。
悠の進学先は、大樹の学力では志望校の調査票に書くことすら憚られる都会の有名大学で、地元から離れる予定のない大樹とはあまりに縁がない。
先輩に会えるのも今日が最後かなぁ、と少しの感傷が訪れた。
誰もいない部室で制服姿の大樹が待っていると、ふとドアノブが回って私服姿の悠がやってきた。
「先輩! 合格おめでとうございます。全然心配してなかったですけど、さすがです!」
無邪気に祝う大樹に、悠は面映ゆそうに笑った。
「ありがと」
「先輩、明日には引っ越しですよね。これ、大したものじゃないですけど、新居に置いてやってください」
そう言って大樹は、小さな紙袋を差し出した。
「え、何? 開けていい?」
「はい。でもほんとに全然大したものじゃないです」
受け取った悠が紙袋の口を開けると、中には小さな多肉植物の鉢が入っていた。
「……かわいい」
「男の一人暮らしって殺風景になりそうじゃないですか。それにこれなら小さくて邪魔にならなそうだし、水やりもそんなにしなくて大丈夫みたいです」
迷惑だったらどうしようと、必死で選んだ理由を説明する大樹に、悠は笑いかけて頭を撫でた。
「大事にするね」
そう言ってもらえたことが嬉しくて、大樹は内心で大きくガッツポーズをした。
「それで……、話って何ですか?」
指先で鉢を掲げて眺めている悠に、大樹は問うた。昨夜、大樹をこの弓道部の部室に呼び出してきたのは悠の方だ。
遠くで吹奏楽部の金管楽器がA音を長く鳴らしている。吹奏楽部ほど熱心な部ではないので、当然春休み中は弓道部は活動休止で部室は他に誰か来そうな気配もない。
引っ越しを前に、自分だけ特別に話をする機会をもらえたのではないかと思うと、大樹は誇らしかった。休みが明けたら部活仲間に自慢してやろうと、ひそかに考えていた。
「うん。話っていうかね」
おもむろに立ち上がって、悠は部室のドアに鍵をかけた。そして部屋中の窓のカーテンを閉めていく。
何が始まるのかわからないまま、大樹もカーテンを閉めるのを手伝った。
遮光ではないカーテンが全て閉め切られ、電気をつけていない室内が薄暗くなる。
ソファーに座った悠は隣をぽんぽんと叩いて、大樹を呼んだ。
「大樹、セックスってしたことある?」
隣に座った大樹の顔を覗き込みながら、唐突に悠は問う。
大樹は一瞬耳を疑ったが、日頃から頻繁に思考に上るその片仮名四文字は、しっかり聞こえてしまっていた。
「はっ!? あ、あるわけ、ないですけど」
「そうだよね」
赤面してしどろもどろになる大樹の左耳にかかった横髪を、悠の右手がそっとすくって撫で上げる。
悠の口元に浮かんだ薄い笑みとその繊細な手つきに、一気に大樹の心拍数が上がった。
「別にね、今からすることに特別な意味はないんだ」
悠の指が、律義に留めていた大樹のシャツの一番上のボタンを、一つ外す。
「今後、大樹が女の子とつき合って、そういうシチュエーションになったときに、慌てなくていいように。練習? みたいな」
「練習……?」
「そう。ただの練習」
言いながらズボンの前立てに悠の手が伸びてくるのを、大樹は信じられない心地でただ見つめていた。
「今後に備えて、経験を積んでおくだけ」
ベルトを外してファスナーを下ろし、中から萎れた大樹のものを、悠のきれいな指先が掴んで引き出してくる。まるで現実感のないその光景を、大樹は声も出せずに見ているしかなかった。
束の間手の中でそれを弄んでいた悠が、ソファーを降りて、床に膝をつく。そして大樹の股の間に顔を伏せ、くちびるに直に触れられた感触で、ようやく大樹は我に返った。
「せ、先輩っ!」
湿った口内に含まれて、大樹は全身総毛立たせた。
「だめです、そんな!」
「落ち着いてよ。大丈夫だから」
ちろちろと赤い舌で先端のくびれをなめ上げながら、上目で悠が見上げてくる。そのなまめかしい姿に、こめかみまで脈を打って大樹は全身が心臓になったようだった。
「あ……おっきくなってきた」
「せん……」
「嬉しい」
笑って、再び顔を伏せた悠が、膨張したそれを喉の奥まで含んで吸い上げてくる。
口淫を施された経験など当然なく、その強烈な快感に一気に血が沸騰して、いくらももたずに大樹は極まった。
「あっ、あ……先輩、離して、出ちゃう」
口の中に出すなどエロ漫画の中だけのファンタジーだと思っていた大樹は懇願したけれど、切羽詰まった声を聞いて逆に悠は舌遣いを複雑にし、悲鳴に近い声を上げて大樹は悠の口内で達してしまう。
間歇的に噴き出す白濁を全て口で受け止め、大樹の痙攣が収まるのを待って悠はそれを自分の手のひらに吐き出した。
「ふふ、慣れてないもんね」
「ご、ごめんなさい……」
荒い息で謝罪する大樹に悠は笑んで、再び大樹の半分萎えたものに舌を這わせた。
「せんぱっ……!」
一度達して敏感になったそれを容赦なく責め立てて、悠は笑って自分のベルトに手をかけた。
「まだだよ」
自分のズボンと下着を腿まで下げて、再び大樹のものを口に含みながら、悠は吐き出した大樹の白濁に濡れた指を自身の下肢に伸ばした。
悠が自分で後孔に指を抜き差ししながら、自分のものを口で慰めている。その光景を目の当たりにして、大樹はめまいがする思いだった。
男子校なので、男同士でそういうことをしているやつがいるという噂は聞いたことがある。でも実際に誰がホモだとかは知らないし、友達との話題にも上らないし、まさか悠がそうだとも、自分とそういう行為に及ぶとも、想像すらしたことがなかった。
嘘だ。無理。無い無い無い。
パンクした頭でどれだけ否定しても悠が口に含んだものは再び硬度を増し、複数の指が行き来する後孔は卑猥な水音を立てている。
やがて十分な硬度を得て屹立したものを口から離すと、悠は大樹をソファーへ横たえ、その上にまたがってきた。
「童貞卒業」
おめでとう、と笑いながら悠が腰を下ろしてくる。濡れて綻びたそこが、絞りながらひと息に大樹を包んでいく。
「あ、あ……!」
「んっ……大樹、おっき……」
煽るような言葉を漏らしながら、根元まで包んだものを今度は引き抜いていく。
抽挿する動きに、完全に大樹の意識は持って行かれて、いつの間にかこらえきれずに悠の細い腰を掴んで下から闇雲に突き上げていた。
「あぁ、あ、ああっ」
最初は主導権を握っていたはずの悠が、突っ張っていた肘からも力が抜けて自分にしなだれかかり、ただ高く喘いでいる。
凶暴な支配欲が腹の奥からせりあがって、大樹は態勢を入れ替えて悠を組み敷いた。
「あぁ――!」
喘ぎは半ば悲鳴のようになり、苦痛に耐えるように悠はきつく眉根を寄せて目を閉じていた。それでも止めてやれず、二人の体の間で萎えた悠のものを大樹は握った。
手淫で悠を高めながら、獣のように大樹は悠の体を貪った。
やがて悠が達し、引き絞られた中で大樹も果て、室内に荒い呼吸だけが響く。
それが少し収まった頃、悠は笑みを浮かべ、汗の浮いた大樹の額を撫でた。
「……大樹、上手だったよ」
赤子が初めて歩むのを褒めるような、慈愛に満ちた笑み。
大樹は絶句した。
遥か高みから落とされた評価に、たまらなくなった。
本当に悠にとっては、大樹の『練習』につき合っただけのことなのだろうか。大樹にしてみれば天地がひっくり返ってもおかしくないようなこの事態が、悠には取るに足らない行為だったのだろうか。
悔しくて、やりきれなくて、でもそれを悠に伝えるすべは持たず、ただ大樹は、組み敷いた悠に口づけた。
「だ……」
なんの技量もない、くちびるを押しつけて触れるだけのキス。
けれど口づけを解いて再度目にした悠からは、貼りつけたような笑みは消え、動揺して見開かれた瞼の中で揺れる瞳が大樹を見上げていた。
おそらくそれが、大樹が初めて見た素の悠。
大樹のキスは、悠は想定していなかったに違いない。ということは、悠が大樹に許すつもりのない行いだったということ。
「先輩……ごめんなさい」
出過ぎた真似をしたのだと気づいて謝ると、目の前の悠の目に、突然涙が溢れた。
「せ、先輩」
「ごめん、大樹……ごめん……」
顔を隠すように大樹を押し退けて起き上がり、悠は乱れた着衣を手早く整えてソファーを降りた。
「先輩、待って! 先輩!」
大樹も着衣を直して呼び止めようとしたけれど、悠は振り返りもしないで部室を出て行き、大樹が扉を開けて廊下に出たときには、もう後ろ姿も見えなかった。
それが最後で、それきり、丸二年。
LINEや他のSNSのアカウントは全て消え、メールアドレスは変わり、着信拒否された電話番号はやがて現在使われていないというアナウンスへ変わった。
転居先の住所は誰も知らされておらず、わかるのは進学先の大学と学部学科くらい。
地元の成人式にも、大学のオープンキャンパスや文化祭にも忍び込んでみたが、姿を見つけることはできなかった。
会いたい。会って訳を聞きたい。
どうして最後に俺とあんなことしようと思ったのか。どうして泣いたのか。ごめんって、何がなのか。連絡先を完全に消して、いなくなってしまったのは何故なのか。
絶対に聞く。必ずもう一度会って聞く。
本当に、ただその一心で、大樹は血眼で勉強に励んだのだった。
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