スパイシィ・ライアー -02-


 場所を変えて、キャンパス近くのファミレス。四人は一つのテーブルを囲んでいた。
 先ほどの男と麻衣が隣に座り、向かいに孝之と悠。
「えーっ、これ大樹くん? 全然別人じゃん! 超かわいい!」
 男の携帯を覗き込みながら麻衣がはしゃいだ声を上げ、つられて孝之もテーブルに乗り出す。
「わー、二年間で成長したんだねぇ。身長どれくらい伸びたの?」
「うーん、二十センチくらいですかね。この頃が一六五くらいだったんで」
「じゃあ今一八五くらいあるってこと? 背ぇ高いもんねー! もう『小枝』じゃないよね」
 すっかり馴染んでしまった三人に背を向けるように、悠はテーブルの角に肘をついてジンジャーエールのグラスを呷った。
 男の名前は棚橋大樹たなはし だいき。今年悠たちと同じ大学に入学した一年生で、中高時代の悠の後輩でもあった。
「あっ! これ高校のときの悠?」
「これは高二のときの先輩ですね。めっちゃキレイでしょ?」
「は!? おまえ何勝手に人の写真見せてんだよ!」
 怒りに任せて振り向きざまに大樹の手元から携帯を奪って、思い切り電源を長押しして画面の暗くなったそれをソファーに放り投げる。
 一連の悠の暴挙を黙って見届けて、大樹は悲しそうな顔で悠を見つめた。
「先輩、会わない間に随分と性格が……」
「でしょぉ。残念なことになってるのよ」
 麻衣によしよしと頭を撫でられて、大樹はさめざめと涙を拭うそぶりをする。
「だけど相変わらず超かっこいい……」
 どこかうっとりと呟くのに、麻衣と孝之が顔を見合わせた。
 先ほどからこのような発言を繰り返して不可思議な空気を醸すので、そのたびに麻衣と孝之は沈黙し、悠は不機嫌を塗り重ねている。
 そろそろ核心を避け続けてもいられず、やむなく孝之が地雷探しに乗り出した。
「……えぇと。大樹くんはあれなの? ゲイなの?」
「はい」
「違うだろ、おまえは!」
 センシティブなはずの問いをあっさりと肯定した大樹に、また悠が歯を剥く。
「だいたいなんでおまえがうちの大学に入れてんだ。偏差値二十くらい合ってねえだろ!」
「さらっとバカなのバラさないでくださいよ。先輩に会いたい一心で、俺がどんだけやりたくもない勉強頑張ったか」
「勉強やりたくない奴が大学に来てんじゃねえ!」
「だから頑張った結果わかるようになったから、勉強にも興味がわいたっていう、素敵なサクセスストーリーじゃないですか。進研ゼミのDM漫画によく出てくるでしょ?」
「知らん死ね」
「死なない!」
 気丈に返してみたものの、二年ぶりの再会を喜ぶことも懐かしむことも気配すら見せない悠に命まで軽んじられて、どこまでも図太そうな大樹もさすがに少し挫けたらしく、眉尻を下げる。
「……ねえちょっと、なんでこの人こんな感じなんですか? 昔すごい好青年だったはずなんですけど。俺感動の再会できると思って楽しみにしてたのに」
 不満げに抗議した大樹の頭を、また麻衣が大型犬を扱う手つきで撫でる。
「それには語るも涙の複雑な事情があってね」
「まあ要するに女にモテ過ぎたもんで、女除けに性格ブス演じてたら、こっちの方が楽なことに気づいて地になっちゃったんだよな」
 麻衣が複雑と語った事情を孝之に一言で説明され、自分なりに苦心して構築した現状が急に中二的な愚行のように思わされた悠は顔色をなくした。
「お、おまえら、なんて言い様……」
「マジっすか? それが原因でこの仕上がりですか!? すっげぇな、よっぽどっすね」
「もう、ほんとによっぽどなモテっぷりだったのよ。想像を三倍くらいにしてみて」
「そう。血で血を洗う女同士の悠の奪い合い……悠が人間不信を拗らせるのも無理はなかったのさ」
「揃いも揃って人をバカにしやがって!」
 悠いじりがライフワークとなっている二人のおもちゃにされるのは毎度のことだが、そこに大樹が参加したことが耐え難く、悠はバックパックから財布を取り出す。
「帰る!」
 宣言して札を抜こうとする手を「まあまあ」と孝之が宥め、その向かいで大樹が大真面目な顔で「バカになんかしてないです!」と声を上げた。
「先輩は昔からめちゃくちゃキレイで、かっこよくて、まともな感性してる奴なら誰でも惚れちゃうくらい素敵な人なんです! 俺はそんな先輩が大好きなんです!!」
 大樹が言い切った瞬間、三人は空気が凍る音を初めて聞いた。
 柄だけは大きくなったが変わらないままのキラキラな瞳で力強く説いて見せた大樹に、悠は白目を剥いてテーブルに突っ伏す。
 その背中へ向けて、麻衣と孝之は黙してそっと手を合わせた。



 大樹と悠が出会ったのは、ちょうど六年前、大樹中学一年生、悠中学三年生の春だった。
 新入生が集団で部活動の見学に回っているときに、悠が中等部の部長を務めていた弓道部に立ち寄ったのが初めての邂逅。
 幽霊部員も多いけど、高等部とも合同で活動していて、上下関係もゆるくて楽だよ、と地区大会で授与された賞状を背に勧誘してきたのが悠だった。
 小柄で運動も不得手だった大樹は、さほど弓道に興味があったわけでもないが、「未経験者でも運動苦手でもできるよ大丈夫!」という悠の笑顔につられて入部した。
 実際に母校の弓道部の活動は楽なもので、毎日活動しているのは高等部の部員も含めて十人程度。それも放課後にひとしきり基礎練をして各々で的前に立った後は、部室で仲の良い仲間内で話したり宿題をこなしたり、カードゲームをしたりしながら過ごすのが日常だった。
 その中でも悠は別格で、強豪校も参加する大会でただ一人入賞してみたり、のどかな弓道部の活動と並行して生徒会活動にも参加したりと、生徒からも教師からも信任は厚く。
 高校三年生のときには周りからの強い推薦で生徒会長も務めあげた。
 優しくて、ルックスも良くて、頭も良くて、人からも慕われて、少しも驕り高ぶることのない理想的な先輩像。
 大樹は悠に強い憧れを抱き、悠が高校を卒業するまでの四年間をずっとそのそばで過ごした。
 大好きな先輩。その気持ちは、後輩から先輩に対する純粋な憧れであって、恋愛感情などではなかった。
 と、思う。いつかの時点までは。
 それがいつだったのかは、正直大樹自身にも判然とはしない。けれど決定的な出来事が起きたあの春休みの一日以来、大樹は大学で再会するまで、悠とは一切の接点を持つことができなかった。
 没交渉の二年間、大樹は悠の背中を必死で追いかけながら、彼の心を測りかねていた。
 ――ごめん、大樹……ごめん……。
 ひどい後悔に濡れた声が、大樹の耳を離れない。
 別れの日に大樹に深く触ったきり、何も言わずに一方的に連絡を断ってしまったその理由。別れ際の涙と懺悔の意味。
 それを問うために、大樹はここまで悠を追いかけてきた。
 やっと会えたその人は随分と趣を変えていたけれど、もう絶対に手を離さない。
 大樹はそう心に決めていた。