夏の終わりに見る夢は -08-


 照明を落として並んでベッドに腰かけ、軽くキスを交わしたところで、紺野が右手を奏太の左手首に重ねてきた。
 なんてことはない肌と肌の触れ合いが、その先の行為を予感させて奏太の背中をさざめき立たせる。
「……なんか、ローション的なものってある?」
 静かな問いに、奏太は右手で顔を隠すように前髪を引っ張った。
 まじか、と思う。俺とやるんだ、紺野さん。
「あ、あの」
 ベッドサイドのチェストに入っているはず、と言いかけて奏太は口を噤んだ。放置しているそれは三年近く前に浅井と使ったきりのもので、恐らくそういうものにも使用期限はあるし、何より浅井の使いかけを渡すのはあまりにデリカシーがないと思いとどまった。
 たぶん同じところに入っているゴムも随分前に買ったもので、使えないことはないだろうが劣化していないとも限らない。もうその抽斗の中身は処分してしまおう、と奏太は決心した。
「保湿クリームくらいなら……」
 一度紺野の手を解き、洗面台からドラッグストアで買った青い缶の万能保湿クリームを持ってきた。いつも髭剃り後の保湿に使っているそれの使い心地の程はわからないが、ないよりましだろう。
 缶を渡そうとした腕を取られ、そのままひょいとベッドに横たえられた。
 室内は小さな間接照明が点いているだけで薄暗いものの、目が慣れてくるとかなりの視野が得られる。至近距離で自分を見つめてくる紺野の瞳に、自分が映り込んでいた。表情まではわからないけれど、たぶん、ものすごく動揺している。
「こ、紺野さん。もし、もし俺の反応が悪かったとしても、それは紺野さんのせいじゃないですから」
 その先の展開に対する自信がまるでなくて、予防線を張って奏太は視線を外した。
「俺がうまくできなかったとしても、気にしないで、紺野さんのペースで進めて……入れてくれちゃって、全然オッケーですから」
 自分が勃たないせいで紺野に我慢を強いるのは本意ではなくて、とりあえず入れて出すだけの用途なら役に立てるはずだと意気込んで伝えると、目の前の紺野の眉間にきゅっと皺が寄った。
「お前バカなの?」
「え、え?」
「……はー。見損なってくれるなよな」
 腹立たし気に言って、力任せに奏太を抱きしめてくる。
「く、くるし……」
「お前は、何のためにこんなことするんだよ。俺だけのためか?」
 耳の下のやわらかい皮膚に歯を立てられて、痛みだけではない感覚に奏太は惑った。
「……っ」
「俺はこういうのは、お前のためにもならないならしたくない」
「紺野さん……」
 ベッドに肘をついた紺野と、鼻先が触れそうな距離で視線が合う。
 間違いなく大事にされている、と、実感したら涙があふれて止まらなくなった。
「――泣くな」
 深く口づけられ、息苦しさの奥から今までなりを潜めていた欲情があぶくのように浮き上がってくるのを感じる。
「泣くな、柚木」
 こめかみを、涙が流れた横髪を、撫でる紺野の指にも、低く鼓膜を震わせる静かな声にさえ、細かな泡で肌が覆われていくようで。
 Tシャツの裾から忍び込んできた大きな掌にあばらをなぞられると、それだけで声を上げそうになった。
 触れられたい。触れたいと思ってほしい。自分が紺野を求めるのと同じ強さで、紺野にも求められたい。
 言葉にできない醜い欲を、奏太は熱を上げる身の内に持て余した。
「……っふ」
 手の甲を噛んでこらえるけれど、その手は軽々と外されて指を絡めてつなぎ留められてしまう。
「んんっ……!」
 親指で胸を探られ、充血して尖った乳首を抉られると、たまらず腰が浮いてかかとでシーツを掻いた。
「声、我慢するなよ」
 男の喘ぎ声なんて、ノンケの紺野に聞かせたくはないのに、必死にかけている奏太の箍を当の紺野が外しにかかってくる。右の耳朶を食まれながら低く囁かれて、濡れた音の近い響きにもう奏太は脳までひたひたに濡らされてしまったように感じた。
 耳元に紺野の息遣いがあって、理性を失いかけているのが自分だけではないのがわかる。
 紺野がいいと言うのなら、男の自分でもいいと言うのなら、信じて預けてみてもいいのかもしれない。それはとても、怖いことだけれど。
「あっ、あぁ……」
 胸の尖りを口に含まれて、抑えきれず細い声が漏れる。
 痩せて肋骨の浮いた胸にはやわらかい肉もないし、喘ぎ声は低くて色気がないし、自分が男でしかなくていたたまれなくなるけれど、奏太は空いた手で自分の口を押えるのをやめた。奏太が乱れた姿を見せても、紺野が手を止める様子はなかったので。
「――あ、あっ、待って!」
 それでも紺野の手がハーフパンツのウエストゴムを引くのを察知すると、慌ててそれを阻んでしまう。
「その先は……」
 やはり紺野の前に晒したくない。あからさまな男の象徴を目にして、紺野が正気に返ってしまったら。
 紺野の手を押さえたまま奏太が逡巡していると、考えを見透かしたように紺野が不機嫌に眉を寄せた。
「……お前、俺がお前の裸見たら萎えるんじゃないかとか思ってるだろ」
「え……うわっ!」
 図星の問いに気を取られた瞬間、紺野が奏太のハーフパンツを下着ごとずり下ろしてしまう。わずかに形を変えた自身が露になり、慌てて隠そうと手を伸ばす奏太を尻目に、紺野は器用に足も使ってずり下ろした衣服を奏太の脚から抜き取って、ベッドの下に放り投げてしまった。
「お前もそろそろ観念しろよな」
 呆れたように言い、紺野は奏太の上から体を起こして膝立ちになると、自分の着衣をためらいもなく脱ぎ捨てていく。
 すべて脱いで、再度奏太の上に覆いかぶさってきた紺野の中心に、どうしても奏太の視線は奪われてしまった。萎えてしまったらという不安をよそに、そこははっきりと屹立していたから。
「観念して、自覚しろ。俺はお前が好きだ」
 ぴったりと寄せた二人の体の間で、互いの興奮が触れ合った。それをまとめて紺野の右手が握りこむ。
「んん――」
 ゆるゆると手を動かされると、たまらない快感が背骨を抜けて奏太は紺野の肩に縋った。
 ピンと張った筋肉に爪を立てると、「いて」と小さく紺野が抗議する。謝って指を離したいのだけど、自分の体なのに自由がきかない。 
「だめ……」
 かすれた声は力なく、反対にこわばった腕でしがみつき、紺野の肩に瞼を埋めた。
「だめじゃなさそうだけど?」
 からかいを含んだ声音で囁いて、紺野が握った右手に少し力を入れる。
「……っあ」
「濡れてきた」
 言葉通り、紺野の手の中の奏太は不十分ながら血流を留めて膨張し、形を変えて先端に雫を滲ませていた。
 他人の手でそんなふうに変化できることは久方ぶりで、我が事ながら驚いてそれを凝視すると、それに添わされた紺野の方ものっぴきならない状態になっているのが目に入る。
「紺野さんも……いい?」
 訊くと、紺野は吹き出した。
「お陰様で。……んなの訊かなくてもわかんだろバカ! 恥ずかしいわ」
 紺野の軽口で空気が緩み、やっと奏太も笑うことができた。
 大丈夫。紺野となら大丈夫だ。
 そう腑に落ちたら、与えられる快感が三割増ほどに感じられた。急速に高みに追い上げられて、息が上がって発露の欲求が突然堪え難いものになる。
「あ! ま、待って……待っ……!」
 手を汚してしまうから離してほしいと、声にする前に全身が硬直した。一瞬の衝撃、続く腰から全身へ広がる震えと弛緩。
「ごめ、なさ……俺だけ……」
 恥ずかしくて情けなくていたたまれなくて、せめて今度は自分がと息も整わないまま紺野のものに手を伸ばそうとしたけれど、それはティッシュで雑に拭い終えた紺野の手に阻まれてしまった。その紺野が、奏太の腿を膝で割り開きながら腰に手を回してくる。
「俺はいいから。代わりに――」
 額に額をくっつけられて、奏太は再び身を竦ませた。紺野の長い指先が探るように、奏太の身体の奥で慎ましく閉じた蕾に触れている。
「ここに、入っていいか?」
 緊張と羞恥と驚愕で、きっとおかしな顔色になっているに違いない。奏太は自分の顔を紺野の視線から隠してしまいたかったけれど、至近距離で見つめる紺野の情欲を湛えた眼差しから、どこへも逃げ隠れすることはできなかった。
「で、できるの……?」
 咄嗟に出た問いは、自分相手に本当にしていいのかというへりくだりのつもりだったが、紺野はそれを侮りと取ったらしい。
「お前なめんなよ、きっちり予習してきたっつの」
 憮然と言うと、先程奏太が渡した青い缶の蓋を開け、指先にたっぷりと取った。そして再び、迷いもなく奏太の奥へその指を這わせていく。
「あっ、ちょっと待って、そうじゃなくて」
「さっきから待って待ってばっかだな」
「ほんとに、お願いだから」
「却下。俺にも差し迫った事情がある」
 奏太の懇願をさらりとかわして、紺野はくちびるで抗議を塞いでしまった。
「んっ……んん――!」
 もう何年も人の出入りがなかったそこに、保湿クリームでぬかるんだ指が、無遠慮に挿し入れられる。まだ第一関節ほどしか入っていないのに、奏太の襞は固くその指を締め上げた。
「きっつ……おい、も少し力抜け」
 深いキスの合間に文句を言う紺野に、奏太も必死で抗議する。
「ぅ……雑! もちょっと、そっと……」
「こうか?」
「やっ、……痛……」
「あ、悪い。……すげぇ狭い。入んのかこれ?」
 揉み合っているうちに紺野の中指は付け根まで埋まり、クリームを塗り込めるように抽挿する動きに従って、やがてそこは卑猥に濡れた音を立て始めた。
「うぅ……やめ……」
「エロ……中、すげぇ絡んでくる」
「……も、言うなよっ!」
 抜き挿しする指に感じやすい中を刺激され、離すまいと喰い締めるように蠕動している自覚はあって、死ねそうに恥ずかしいのに止められない。動きを咎める言葉を口にしながら、知らず揺れる腰ははしたなくもっととねだって紺野を誘う。
 体に埋まった指が二本、三本と増やされるたび、奏太の中で燻る欲はどんどん煮詰まって濃くなっていった。
 もう降参。
「紺野さんおねがい、挿れて……」
 身も世もなく髪を乱して、しまいには紺野の屹立を自ら握って入り口にあてがって、奏太は哀願した。その痴態に紺野も堪えかねてぐっと目を眇め、奏太の中に押し入っていく。
「あ、あぁ――」
 内臓ごと押し上げてくるような圧迫感と、それを凌駕する多幸感とで、さっき止まったはずの涙が眦から溢れ伝った。
 内側を満たした紺野の存在。怯懦に縮こまった奏太の心も、内から膨らませてくれるように感じる。
 愛されたかった。抱きしめられたかった。求めることを許されたかった。
 自分だけを見てと。
 その願いを、叶えてほしかった。
「……また泣く」
 困った顔で、奏太の頬にくちびるで触れながら紺野が笑う。優しい手が、奏太の髪を梳く。
「大丈夫か? 痛い?」
 問いに、奏太は涙を拭ってただ首を横に振った。嬉しくて、指の先まで気持ちいい。
 奏太の反応を確かめながら、探り探りに紺野が動き始める。穏やかな律動はけれど、間もなくベッドを軋ませる激しさを帯び、とてもついて行けなくなった奏太は揺さぶられるままに嬌声を上げた。
「柚、木……」
 甘い囁きに、鼓膜が痺れる。
 もう何も、互いに考えられなくなって、手管もなくただ闇雲に背を抱き合った。