夏の終わりに見る夢は -05-


 翌週の夜、仕事帰りの奏太はロースクール帰りのケイと待ち合わせてファミレスで夕食をとっていた。
 夕方を過ぎて夜の時間帯に入ってきてもケイのメイクはばっちりで、傍目からだと二人はデートを楽しむ似合いのカップルのようだった。
「えー何ソレ、守られちゃってるじゃん! 超ときめくじゃん! 即落ち案件じゃん!」
 けれど顔を赤くしてケイが盛り上がっているのは、奏太に強く報告を求めた紺野との話題だ。
「そうなんだけど……めっちゃそうなんだけど!」
 頭を抱える奏太に、ケイはグラスの中の氷をストローで沈める。
「マジ羨ましいんだけど。僕も守られたいー。僕なら超口説くね」
「うん、ケイちゃんなら行くだろうね。俺はケイちゃんが羨ましい」
「てゆーかもう奏太さんも惚れちゃってるじゃん。アタックしないの?」
「しない」
「既成事実もあるのに、何が問題?」
「……」
「……女もいけるとこ?」
 問われて、それこそが奏太にとっての唯一の蟠りで最大の障壁、越えられないハードルだった。
「……うん。既成事実ったって、俺は何も覚えてないし、紺野さんにはなかったことにしてほしいって言っちゃったし」
「奏太さんさえその気になれば、余裕で成立しそうなのに。もったいない」
「でももう……やっぱり女に持ってかれるのは怖いよ……」
 その危険性がない相手と、安心できる恋愛がしたい。過去二度の恋愛でどちらもバイセクシャル相手に痛い目を見た奏太の、心からの望みだった。

 夕食後、ケイと別れて自宅へ向かう。道すがらぼんやりと、奏太は「幸せになりたいなぁ」とひとりごちた。
 ただでさえ、同性愛者はマイノリティ。想い合える相手と出会えること自体が希少なこと。
 今までつき合った二人とも、自分を一番には愛してくれなかったけれど、一時でも恋人気分を味わえたのだから、それだけでもありがたいと思うべきなのだろうか。
 そして今、浅井が自分のもとに戻っても良いと言ってくれているのだから、自分は断れる立場ではないのではないだろうか。
 この先、もう自分には誰も現れないかもしれない。これを逃したらもう恋愛などできる機会もないのかもしれない。
 そう思うとこれから先の何十年かが空寂しいもののように感じられたけれど、それでもやはり、元の鞘に収まろうという気にはなれないのだった。
 部屋に帰り、ふと携帯にメッセージが入っていることに気づく。見ると、相手は浅井。この間紺野と一緒のところに出くわして以来、一度も連絡がなかったので、つい気になって奏太はメッセージを開封した。
『最後に話がしたい。もうよりを戻そうとは思ってない。何時でもいいから、都合の良いときに電話してほしい』
 簡潔な文面に、安堵のような寂しさのような、複雑な気持ちになって奏太は息をついた。そのまま浅井への通話を開始する。数回の呼び出し音の後、浅井は応答した。
『もしもし……奏太?』
「うん……」
『電話くれてありがとう。これで本当に最後だから』
 落ち着いた、つき合っていた頃に戻ったかのように錯覚する、優しい浅井の声が耳元で響く。
『……一つだけ気になってる。この間一緒にいた奴だけど、お前、本当にあいつとつき合ってるのか?』
「つ……つき合ってるよ」
『でもあれ、バイどころかストレートじゃないのか?』
「……」
 その敏さに驚いて口ごもった奏太の沈黙を肯定と取って、浅井が電話の向こうでため息をつく。
『やっぱそうか。会社の先輩に、俺を追い払うのを協力してもらってただけなんだろ』
「あの……」
『いいよ、別にそれは。俺もしつこくして悪かった。離婚して一人になって、思ったよりダメージでかくてな。もしお前がまだ一人ならって考えちゃったんだ』
 謝罪を口にして、自嘲気味に浅井は笑う。
『結果、お前はまだ一人だったわけだけど、もう俺のところには戻りたくないって気持ちもわかる。お前には本当に悪いことをした。二年前も今も、俺は自分のことしか考えてなかった』
「いえ……」
『俺が言えた義理じゃないけど、今はお前のこと、心配したりもしてる』
「心配?」
『女が好きで、同じ会社の先輩で、って……お前、同じパターン繰り返してるじゃん』
「え――」
『この間の会社の先輩を、お前、好きなんだろ?』
「そんなことないよ!」
 らしくなく、強い声で奏太は否定した。当然浅井はそのらしくなさを見透かして、苦笑を漏らす。
『……違うならいいけど。お前、時々自分でも自分の本音見ないようにしてるところがあるんじゃないかと思ってな』
 昔の奏太の姿を思い返して、浅井が寂しげに声を弱らせた。
 恋人の不実に気づいていながら、浅井の前では晴れやかに笑って見せた奏太の無理を、自分のせいだとはわきまえつつも痛ましく思う時があった。奏太が自分だけを見ろと、怒りをぶつけてきてくれることを理不尽に夢想したことも。
 けれど結局最後まで、奏太が浅井にそれをぶつけることはなかった。たとえ結婚したとしても、時々しか会えなくても、別れたくないと、愛されたい気持ちを押し隠して縋ってきた。
 その姿に覚えた罪悪感に堪え切れず、あの時浅井はもう奏太の手を離さなければと思ったのだ。
『もう、わざわざ失敗しに行くなよ』
 お前強くないんだから、と労わるような声を残して、通話は切れた。
 電話を握りしめたまま、奏太は呆然と立ち尽くす。
 ――そんなことは浅井に言われなくてもわかっている。誰も好き好んで失敗しに行きたくなんかない。だから奏太は、自分の気持ちを必死で抑え込んでいるのに。
 紺野が好きだ。でも、諦めると決めた。紺野相手では、奏太の望む安寧は得られないのだから。