花と悋気 02


 新幹線の改札口で糸川を待ちながら、糸井は何度も腕時計に視線を落とした。
 自分が禁止した手前、ホームまでは出迎えに行きはしないけれど、行きたいと言った糸川の気持ちはわかる。待つ方は待ち遠しくてそわそわが止まらないのだ。
 先週は世間的にはゴールデンウィークで連休だったが、糸川はその休暇中に社内サーバーやネットワーク機器のメンテナンスに立ち会うことになったとかで、ほぼ毎日出社していたらしい。自分の業務に直接は関係ないことでも、出向中に知識を入れておかなければならないそうで、糸井が想像する以上に糸川は多忙そうだ。
 糸井も先週はちょうど仕事が立て込んでいたので、自宅に持ち帰って片付けたり、部屋の大掃除をしたりして過ごしていた。
 その代わりに、今週は二人とも月曜に休みを取って、土曜から二泊三日の予定で糸川が糸井に部屋に泊まりに来る。『隔週で会おう』という約束通り、二週間ぶりの逢瀬だ。
 新幹線の到着予定時間を少し過ぎ、早く来ないかなー、と何度目かに腕時計を覗き込んだところで、降車した集団がやってくる気配がした。
 やがてこちらへ押し寄せてきたその人波の中に、糸川を発見する。彼もこちらに気づいていて、目が合った瞬間、微笑んでくれた。
 糸井は踏み出し、人の流れに合流するように糸川の隣へ向かう。
「お帰りなさい」
「うん、ただいま」
 雑踏に紛れてさりげなく、糸川の手が糸井の手を握った。
「今日はこれからどうする? せっかくだし、この辺でお昼まで買い物でもしてごはん食べていく? それともこのまま糸井くんの部屋に直行する?」
 訊いた糸川が、こっそりと糸井の耳に口を寄せる。
「まさか今日はプラグ入れてないよね?」
「なっ……! っもう!」
 前回の自分の行動をからかうような声に真っ赤になって、糸井はほどいた手で糸川の肩を強く叩いた。
 思い返せばただただ恥ずかしいのだが、前回の糸井は三週間の糸川断ち、それも離れた直後の新鮮で強烈な寂しさも相まって、禁断症状的に切羽詰まっていた。とにかく早く糸川と触れ合いたくて、身の内に受け入れたくて、馴らす時間も惜しくて事前に準備を整えておいた。
 今回も同様に寂しさは募っているし、もちろん早く二人きりになりたい気持ちはあるけれど、昨夜のガス抜きのお陰でそこまで切迫してはいない。
「なんならこのまま夕方まで外デートしていきましょうよ」
 むぅっと膨れっ面で拗ねた口を利いた糸井の背を、笑った糸川が宥めるように撫でる。
「まあ、久しぶりにそれもいいね」
 飄々とした、余裕のある糸川の横顔が、糸井はなんだか羨ましかった。

 駅のコインロッカーに荷物を預けて、宣言通り二人は夕方まで外デートを満喫し、糸井の部屋への帰宅途中で夕飯も済ませた。
 休みの日に午前中から、外でこれだけ長く過ごすことも二人には珍しい。
「はー、疲れたぁ」
 ウィンドウショッピングに映画にゲームセンターに、行き当たりばったりの高校生みたいなデートは意外に楽しくて、玄関のドアを開けながら糸井は満足げに声を上げる。
 そのドアが閉まると、糸川は軽く、触れるだけのキスをくれた。
「けっこう歩いたね。お風呂入ってきちゃったら?」
「あ……いえ、糸川さんの方がお疲れですよね。お先にどうぞ。お湯ためます?」
「ううん、シャワーでいいよ。糸井くんが先でいいし」
「でも……」
「それとも一緒に入る?」
「え」
 提案に驚いて振り仰ぐと、糸川は他意も下心もなさそうな爽やかな顔で笑んでいる。けれどこういう無害な顔をして、実のところ下心満載だったりするので、糸川という人には注意が必要だ。
「いやいや、狭いですよ」
「僕は全然気にならないけど」
「えー……一緒に入りたいんですか?」
「うん。糸井くんは嫌?」
 軽やかに肯定して糸井の意思に委ねてくるのも、なんだか上手くてずるい。そういうふうに訊かれたら、嫌とはとても言いづらくなるではないか。
「うぅ……じゃあ、今からえぇと、十五分経ってから入ってきてください」
 十五分の理由は察せよ訊くな、という無言の圧力を発して俯いて答えると、糸川は「オッケー」と軽く請け合って、部屋の奥へ入っていった。
 服を脱いで浴室に入って、蛇口をひねる。出てきた水がお湯になるのを待って、高い位置のシャワーホルダーに掛けて頭から湯を浴びると、ほっとすると同時にやや緊張してきた。
 十五分後には、糸川もここに来る。裸で触れ合って、もしかしてここで事に至ったりするのかもしれない。
 ドキドキしながら一通りの身支度を済ませ、頭と体を洗っていたら、浴室のドアの前に糸川の影が立った。
「入ってもいい?」
 外から掛けられた声に、なるべく平静な声を作って「どうぞ」と返す。
 そのドアが開いて、入ってくる裸の糸川は笑顔のはずだと思っていたら、なぜか神妙な面持ちだった。
「……糸井くん、ごめん」
 その顔で謝られて、別の意味でドキドキしてくる。
「どうしましたか」
 シャワーを止めながら問うと、糸川は気まずげに目を逸らす。
「家捜しするつもりではなかったんだけど」
「はあ」
「ちょっとね、ゴムとローションの残量を確認しておこうと思っただけなんだけどね」
「……はい」
「ごめん、いつものベッド下収納、ちょっと開けてみたら」
「……?」
「……あれ、大人のおもちゃだよね?」
「!!」
 指摘されて思い出して、血の気が引いた。
 いつもはその収納の奥の方で、さらに箱の中に入れているディルドを、昨日の使用後に洗って乾かして後で仕舞おうと思って、収納の手前の方に投げ入れたまま放置してしまったのだ。
「いやっ、あの、それは昨日……」
 慌てた糸井は、言わなくていいことを口走ってしまう。
「昨日? 使ったの?」
「あーいや、あの」
「全然悪いことじゃないよね。たまる一方じゃ体に悪いしね」
 糸川は全くいやらしい雰囲気は醸さず、にっこりと笑う。
「でもああいうのって、糸井くん、自分で選んで買うの?」
「えっ、いや違います! 自分でなんか」
 そして重ねられた質問が恥ずかしくて思いきり否定した、その瞬間、すっと目の前の糸川の目が眇められた。
「へえ。じゃあ誰かに買ってもらったんだ?」
「えっ……」
 視線は冷たいのに口元は笑ったままの糸川の表情は恐ろしく、視線を泳がせまくった糸井は浴室からの逃亡を考えるが、実行するより先に糸川の腕に壁際へ詰め寄られてしまう。
「てことは、三島だねぇ」
「あー、あの、糸川さん……」
「三島からのプレゼントを? 今まで大事に持っていて? 僕のいないところで使っちゃうんだねぇ糸井くんは」
 プレゼントなんて呼べる代物ではない、と弁解しようとした糸井を、捕まえるように糸川が抱き締めてくる。その手が背後で、今清めたばかりの尻に降りてきて、そのあわいを指がこじ開けにきた。
「……っや!」
「昨日ここに入れたんだ? それでこんなに柔らかいんだね?」
 いっぺんに入れられた中指と薬指が簡単に孔を押し広げ、その内側からぴんと張った襞を人差し指がくすぐってくる。糸川らしからぬ性急な刺激に、糸井の膝が立たなくなる。
「待って……」
「待たないよ。ちゃんと立って」
 ここへ至って糸井は気づいた。どうやら糸川はけっこう、いや、かなり怒っている。
 糸川の片手が糸井の二の腕を強く掴んで、崩れかけた体を雑に引き戻した。壁に背中を預けてなんとか自立している糸井の後ろに深く指を突き入れ、中の弱いところを執拗に抉って、その上前まで握って扱き立ててくる。
「あ、あっ、いや、やだっ……」
 思わず拒む声を上げてしまうと、その口は糸川のくちびるに塞がれた。舌で歯列を割られ、縮こまって喉に逃げていた舌が誘い出されて吸われる。
「ん、んぅ、……っふ、ぅ」
 いやだなんて言っていた口が、いつの間にか糸川のキスを求めて自分から吸い付きに行っていた。糸川の舌との間で喘ぎは蟠って、巧みな愛撫に糸井の体は熱を上げていく。
 気持ちいい。その感覚に支配されて何も考えられない。頭が熱い。
 糸川の手でそんなふうに責め立てられては完全にお手上げで、あっという間に高みに上り詰めた糸井は、糸川の肩に縋りついて体を震わせた。
「――……はー、はー……」
 詰めていた息を吐き出して、糸井は糸川に寄りかかって支えられる。吐精を受け止めた手をシャワーで流しながら、糸川がその耳元にくちびるを寄せた。
「ベッドで待ってて。すぐ行くから」
 艶を含んだ、深くて甘い声。
 鼓膜の震えが直接腰まで響いてくるようで、囁かれた耳を押さえて首まで真っ赤にした糸井は、俯いて浴室から逃げ出した。