(逃げたとて、ここは俺の部屋……)
他に行き場もなく、Tシャツとスウェットを身につけた糸井はぼんやりと、薄暗い部屋でベッドに座って糸川を待った。そのベッドには、糸川が残量を確認したというゴムとローションが出してある。
(……怒ってたな、糸川さん)
ああいうことで怒るんだな、というのが新鮮な驚きだ。普段怒るところをほとんど見ることがないので余計に。そして普段怒らない人を怒らせるととても怖いというのはセオリーだ。
(よっぽど三島さんと反りが合わないというか、まあ要するに嫌いなんだろうなぁ。糸川さんに何したんだろ、三島さん)
そういうことではないのだが、自分が嫉妬という感情に疎いがゆえに、若干ずれている糸井である。
そうこうしているうちに、浴室の扉が開く音がした。ややあって、腰にバスタオルを巻き付けただけの糸川がやって来る。
濡れ髪も、きれいに線の入った引き締まった腹筋も、びっくりするくらいセクシーで、糸井は直視できなくなって視線を床に逃がした。その糸川が、糸井の隣に座る。
ぎし、とシングルのベッドが軋んで、体重を移動させた糸川が指の背で糸井の頬に触れる。促されるように視線を上げて、ぶつかった瞳が瞼を伏せるのにつられて糸井も目を閉じた。
さっきとは打って変わって、深まらないまま何度も繰り返される優しいキス。ついばむようなくちびるが肌から離れる度、ちゅっと小さな音が立つ。
物足りなくなって誘うように口を開けると、糸川の犬歯が糸井の下くちびるを軽く噛んで、不意に離れていった。
「……?」
怪訝に目を開けた糸井の手に、ゴムの個包装が渡される。
「つけて」
そう言って糸川はベッドに上がり、腰のバスタオルを開いた。露になった糸川の下肢はまだ鎮静状態で、『つけて』の意味を理解した糸井は赤くなって口元を拭う。
つまり、勃たせろということだ。
「……うん」
それを糸川から明示的に求められたのは初めてのことで、ドキドキしながら糸井もベッドに上がり、力ないそれに両手を添えて顔を寄せた。
口に含んだそれは、まだ柔らかくて小ぶりで、糸井と同じボディーソープの香り。けれど、歯を当てないよう舌とくちびるとで大切に包んで撫で続けていると、みるみる固くなって嵩を張り、先端から青臭いとろみを分泌し始める。
糸川の興奮の証拠だと思うとその変貌も不味さも愛おしく、これがこの後どんなふうに自分の体を拓くのかと考えただけで脳が甘く痺れるようだ。
口内に収まりきらなくなった糸川を精一杯喉奥まで迎えて、糸井は頭を上下させる。その頭に触れた糸川が、髪を梳くように指を入れ、愛しげに撫でた。上目でその糸川の表情を窺うと、ほんのり頬を上気させて、目を細めて糸井を見下ろしている。
(きもちよさそ……)
糸川の様子に安堵して、また糸井は熱心に糸川を愛した。その糸井の下肢も、既に張り詰めてスウェットの生地を押し上げている。
手で擦りながら先端から溢れる先走りを丁寧に舐め取っていると、糸川の親指が左の頬から口内に差し込まれた。顎を持ち上げられて、口から怒張が抜ける。そのまま引き寄せられて口づけられ、舌が絡まり合う。
「……もういいよ」
官能的な低い声。間近の糸川の瞳が潤んでいて、嬉しくなる。頷いて、糸井はゴムの包装を破った。
薄い膜を糸川の根元まで装着すると、糸川が糸井のスウェットのウェストに手を掛ける。その手に従って、糸井はスウェットと下着を脱ぎ捨てた。その糸井の手を引いて、糸川は自分の上に跨がらせ、今度はローションを手渡してくる。
「昨日自分でしたみたいにしてみて」
いきなりそんなことを言われて、優しい仕草に油断していた糸井の羞恥心が瞬時に爆発した。
「い、いやだ!」
「どうして」
「……恥ずかしい」
「僕しか見てないよ」
「糸川さんにこそ見られたくないんだって」
「僕が、糸井くんが一人でどんなふうにするのか教えてほしいって言ってるのに?」
「……」
「だめなの?」
糸川にじっと目を覗き込まれ、さらに小首を傾げられては、それ以上強く拒絶することができないのが糸井で。
「……うぅ」
根負けして、渋々受け取ったローションを手に出し、自分の後孔に塗って、その手で糸川の屹立を握る。手で安定させた、その上に、ゆっくりと腰を落とす。
「んっ……」
ディルドとは全然違う、人肌のやわらかさとあたたかさ。
騎乗位や対面座位は初めてではないけれど、ディルドでの自慰を再現していると思うと、糸川の体を使っているような後ろ暗い感覚が湧いて、なんだかすごく悪いことをしている気分になった。
「……い、糸川さん、動いて……」
「なんで。ディルドは動かないでしょ。あれ電動じゃなかったよね」
言いながら、糸川は糸井のTシャツの前側の裾を捲って引き上げた。その裾を、糸井の口元に押し付ける。
「咥えてて。ここ壁薄いんだっけ?」
どうやら今日の糸川は糸井の話を聞き入れてくれるつもりはないようで、困惑しながら言われるがままに糸井は裾を噛んだ。
「……ふ、……ふ」
浅いところを突く小さな動きで、糸井はどんどん高まっていく。その姿を、糸川は後ろに両手をついてただ見上げている。
糸川の目の前で自慰をして見せる、それが恥ずかしくてならないのに、自身を握って上下する右手を止められない。
恥ずかしい。早く終わりたい。
「う、……んぅっ……」
ようやく極まった糸井がぎゅっと目をつぶって、咄嗟に抜き取ったティッシュに薄い粘液を吐き出した、その瞬間。
「――っ!?」
突然下から突き上げられて、糸井は声もなく後ろに昏倒した。
セックスの回数を重ねても、糸井の負担を考慮して、たまにしか糸川もその場所は侵さない。するとしても、糸井の様子を見ながら慎重に進むべきその窄まりを、今日の糸川はいきなり抉った。
「ねえ、どっちが良かった?」
そのまま糸川が糸井の腰を掴んで覆いかぶさってくる。
「僕のと、三島からもらったおもちゃと」
「や、奥やめ……、いってる、から、今はだめっ……!」
「ねえどっち?」
ばつんと音が立つほど激しく奥を穿たれて、糸井は本能的に逃げようと足掻くけれど、糸川に押さえ込まれて身動きができない。逃げられないまま、容赦なく奥を突かれて視界がぶれた。
「い、糸川さん、の方がいいからっ……、お願いだから奥っ、お、ぐ……やめて……」
ただでさえ達したばかりなのに、感じすぎて負担の大きい最奥を責められては、糸井の頭も正常には回らなくなる。
「僕の方がいいんだ? じゃあもうあのおもちゃはいらないよね?」
逃げたがる体に苛立つように、糸川は糸井の両手首を掴んで引き戻し、なおも奥を突いた。
「や……やめ……、あ……、あ、ああ」
「いらないんだよね?」
会話はかみ合わず、受け答えもままならなくなった糸井の体が大きくのけぞった。
「んぃい……!」
全身の痙攣と、内側の収縮で、射精はなくともドライで達したことは糸川には伝わったはず。なのに糸川は動きを止めない。
「……も、やめ……て、やめ……」
「うん」
頷くくせに、やめてくれる気配もない。
度の過ぎた、終わりの見えない快感が、糸井の神経を灼き切っていく。怖い、という感覚さえ焼失して、全思考が停止する。
やがて呼吸がおかしくなり、糸井は呻き声すら上げられなくなった。
「……っ、――……」
息の仕方がわからなくて、ただ大きく口を開く。視界にざざっと走ったノイズは、限界を知らせる合図。そして。
ぷつんと、暗い部屋でテレビを切ったみたいに、全部が真っ黒になった。