Remember me -06-


 部屋に飛び込んできた秀明は、亜弓を押さえ込む男の姿を見るなり、羽交い絞めにしてベッドから引きずり降ろした。
「てめえ、亜弓に何してやがんだ!!」
 服をはだけられてぐったりとしている亜弓を目に留め、激昂して秀明は怒鳴った。
 ――秀明に羽交い絞めにされた中村に、亜弓は涙を見た。その目が亜弓を睨め据える。
「どうしたって……きみは僕を見てくれないじゃないか」
 低い、唸るような声だった。ベッドから半身を起こして衣服を直しながら、その目に捉えられて竦んだように身動きが取れなくなる。
「抱かれてやってる? …そうだね、きみは自分の首を守るために抱かれてただけだ。僕の気持ちなんか一度も考えてくれたことなかったよね。今まではそれでもいいと思ってたんだ。それでもきみの傍にいられればいいと……だけど」
 やにわに中村は秀明の腕を振り払った。
「今はもう耐えられない」
 最後通牒のように言って、中村は寝室を出た。続いて玄関のドアが開閉される音がする。部屋には沈黙が残った。
 しばしうろたえていた秀明も寝室を出、濡れタオルを持って戻ってきた。それを殴られた亜弓の頬にあてがう。
「…腫れるね、それ」
「そうだな」
 苦笑すると、痺れていてあまり気にならなかった痛みを自覚した。
 そして亜弓は、焦点の合わない危うい視線を秀明に向ける。
「…ひでぇ、よくこんな綺麗な顔殴ろうって気になるな」
「お前だって殴らせてるくせに」
「俺はだって、こんな顔だし」
 秀明はわざとおどけて、今日は新しい痣のない顔を指差した。
「よかったな、今日は呼び出しがなくて」
「うん。けっこう気まぐれでさ」
「そう……」
「うん……」
「……」
「…亜弓ってさ」
「ん?」
「男に抱かれる男だったんだね」
 いきなり核心を突かれ、亜弓は言い淀んだ。
「……ん」
「知らなかった」
「うん、言わなかったから」
 言わなかったのではなく言えなかったのだということは、双方とも分かっている。
「ほんとはイヤなの?」
 問われ、亜弓にはすぐに答えられる言葉がない。
「よく…分からない。最初はしたくてしたわけじゃなかったけど。最近はしたいとかイヤとか、そんなこと考えたこともなかったな」
 ただ、求められるから抱かれていた。それ以上でも以下でもなかった。
「さっきの、誰」
「俺の働いてる病院の、外科医。院長の息子」
「あの人は…?」
「俺のこと、好きなんだって」
 他人事のような話。好き、というその言葉を、実感したことはなかったかもしれない。
「最初はしたくてしたわけじゃないって、どういうこと?」
「ああ――薬盛られてやられた」
「なんだそりゃ、最低野郎じゃん!」
「最低野郎、かな?」
「…と、思うけど」
「ん、かもね」
 苦笑しながら肯定の言葉を舌に乗せて、優しかった中村ばかりを妙に思い出した。
「なんでそんな奴とやってたの」
「…脅迫、されたから。言うこと聞かなきゃ首にするって」
「うわ、とことん最低。でもそんなの、仕事なくなった方がマシじゃないの? 何やったって食ってはいけるよ」
 身売りで生計を立てている秀明の言葉は説得力がある。でも亜弓は、やけに簡単に言ってくれるな、と苦笑した。
「2つ考えた。死ぬか、失職するか」
「…また極端な」
「でも男に抱かれ続けるくらいなら死んだ方がマシだって思ったさ、本気で。でも、どっちもできなかったんだ。だから」
「なんで」
「…え?」
「なんでできなかったの」
「そりゃぁ、だって…」
 曖昧にはぐらかそうと思って口を開いて、ためらって亜弓は口を閉じた。そして、中村からどれだけ求められても話さなかった、自分の話をこの行きがかりの男に話そうとしていることに気づいた。
 脈が走る。
「…俺の今の両親、実の親じゃないんだ」
 亜弓は電話のある方をふと見やった。
「実の親は…母親は俺にアユミなんて名前つけて、女装させるのが趣味みたいな人だった。子どもながらに母はおかしいと思ってたけど、その頃は、父は普通の人だと思ってたな」
「違ったの」
「そう。俺が10歳の時に母が交通事故で死んでから、父は俺に暴力を振るうようになった。でも中学に入る直前くらいに、隣のおばちゃんが見かねて…警察に通報して…なんかよくわかんないけど大変なことになったみたいで、父は親権剥奪されて、俺は母の叔母夫婦…俺には大叔母とかにあたるらしいんだけど、そこに引き取られたんだ。子どもがいなかったから。それが今の両親」
「その人たちは?」
「ん、すごい、いい人で。俺、体中に虐待の跡とか持ってたから、なんか腫れ物にでも触るみたいに大事にしてくれた。ものすごく、大事にしてくれた。何かっていうと、亜弓さんは立派になってねって……それが……俺にはすごく重荷で」
 亜弓はくちびるを震わせた。秀明は泣くかと思ってその様子を見ていたが、泣きはしなかった。
「――だから、死ねない、職も失えない、か」
 亜弓は頷いた。
「俺さ、さっきの人…中村さんに初めて抱かれたとき、体竦んじゃって、意識が戻ってからも何も抵抗できなかったんだ。怖くて…親父にされたこととか思い出して」
「あの人、今までも亜弓のこと殴ったりとかしてたの? 気づかなかったけど」
「いや…殴られたりとか、暴力らしい暴力って、されたのはさっきが初めてだった。あの人はいつも穏やかで、俺に優しくて」
「? じゃあなんで父親のこと思い出したりしたの?」
 切り返されて、亜弓は口ごもった。
 手を握ると、とたんに冷たい汗が滲む。
 黙ってなければならない……その思いに胸が潰されそうになる。しかし逆に、一人で抱えているからこその重圧であることも、亜弓には分かっている。
 怖い。痛い。
 目が泳ぎ、ためらってためらって、やっと絞り出すように言った。


「――俺、親父から…性的虐待も受けてたから……」