好きな人の 好きなひと -09-


「ピアス増えてる」
 コピー機の横で隣に立った長田に指摘されて、來架は該当の右耳を手で覆った。
 普段会社ではほとんどの穴にピアスは通していない。穴が多いことは知られているが、いくつ開けているかを公言したこともない。
 なのになんでこいつは人のピアスホールの数を把握しているんだろう、とは思うが、訊けば調子に乗りそうなので來架は敢えて何も言わない。
「ファーストピアスですかそれ? 軟骨って痛いんですよね?」
「うるさいよ長田」
「なんでそんなに体に穴開けたいんですか? 開けたいと思ったこともない俺からすると、自傷行為にしか見えないんすけど」
「うるさいってば」
 指摘の通り、來架は昨日、ピアスの穴をひとつ増やした。ファーストピアスはしばらく外せないから、耳上部の耳輪に隠れる位置に開けたのだけど、目ざとい長田からは隠せなかったようだ。
 自傷行為にしか見えない、という指摘も耳が痛い。その通りすぎて。
「花村さんの扶養変更申請に、佐藤さんの転居届けに、最近瀬野の近辺が騒がしいけど、その耳も関係あるんですかね?」
 声のトーンを落としてこそっと耳打ちしてくる長田を、來架はじとっと睨み上げる。
「個人情報ぺらぺら喋るな」
「佐藤さんとしか喋ってないですよ。仕事の話でしょ、申請の処理どうしたらいいですか?」
「通常処理だよ。手順書読め」
 トナーの交換を終えて自席へ戻る來架の後を、「冷たーい」などと言いながら長田がついてくる。廊下に出ると、当然のように真横に並んできた。
「花村さんが離婚したってなると、また瀬野の花村先輩熱が上がっちゃうんじゃないですか?」
「……」
「彼氏のそういうの、気にならないんすか?」
 無遠慮な詮索に、來架は無表情で長田を見上げる。
「僕にはもう関係ない。あいつとは終わった」
「!」
 聞くなり目を丸くした長田は、ぱっと來架の前に回り込み、進路を塞いで顔を覗き込んできた。
「じゃあ、今なら俺にも可能性があるってことですよね?」
「はあ?」
 やたら前のめりで訊いてくる長田に、思わず來架は苦笑いしてしまう。
「ないよ」
「なんで!?」
「僕はまだあいつのこと、忘れられてないもん」
「俺が忘れさせます!」
「それができるなら瀬野も花村のこと忘れてくれたんじゃないの。おまえにはできて、僕にはできないことだって?」
「それは……」
 來架の気持ちを蔑ろにするようなことは言えない長田が言い淀むと、意地悪なことを言ったかと反省して、來架は表情を緩めた。
「……今の僕と付き合っても、僕はおまえをちゃんと見られない。おまえのためにならないよ」
 誰かの代わりになることの辛さや虚しさを知る來架だからこそ、誰のことも瀬野の代わりにはしたくなかった。
「おまえの気持ちに応えられない僕なんかより、他に目を向けた方がいい。若いうちの大事な時間を無駄に過ごすことはないよ」
 諭すように言う來架を恨めしそうに睨んで、長田はわかりやすく不貞腐れる。
「俺は、佐藤さんが好きなんです」
「知ってる」
「俺に、誰かを佐藤さんの代わりにしろって言ってるんすか」
 屁理屈をこね出した長田に手を焼いて、來架はバリバリと後ろ頭を掻いた。
「そうじゃなくて、おまえがちゃんと好きになって、相手もおまえを好きになってくれるような人を」
「そんなの無理っすね。俺も佐藤さんを忘れられてないっすもん」
「そのうち忘れるよ」
「じゃあ佐藤さんも瀬野のこと、そのうち忘れますよね」
「……長田ぁ」
 埒が明かない応酬の後、呆れ果てた來架は思わず笑ってしまう。
「なんで僕なん。おまえやったら他の誰でもよりどりみどりやろ」
「理由、話して聞かせましょうか。話せば長くなりますけど」
「……いや、いらん。なんや怖いわ」
「じゃあ無事付き合えたら、ピロートークのネタにしましょう」
「あほか。一生あっためとけ」
 戯れ言には付き合いきれないと、來架は長田に背を向けて歩みを早めた。
 ふと、その足取りが昨日までより軽くなっていることに気づいてしまう。それが長田の軽口のお陰だということにも。
 正直、深刻にさせてくれない長田の存在には救われてもいる。憎めないやつだと、そういう意味で來架は長田に好感を持ってはいる。
 でもそれを恋愛感情にはできない。
 失恋なんて初めてじゃない。穴の数ほどしてきた。もう懲りた。本当にもう充分だ。
 もう、誰のことも好きになりたくない。
「お互い不毛やねぇ……」
 長田のことが少々不憫になりながら呟くと、聞き咎めた長田はむきになったように眼に力を込めた。
「不毛かどうかはまだわかんないでしょ。俺、気は長い方なんで。外堀内堀全部埋めていくんで覚悟してくださいね」
 謎の自信を醸して不敵に笑う長田に苦笑して、來架は仕事に戻る。
「時間の無駄だと思うよ」
 言われた長田がどう思ったのかはわからない。何も言い返してはこなかった。
 本当に、そんな無駄な時間は過ごさなくていいと思う。早く見切りをつけて、次の誰かに行くべきだ。
 指先で、昨日開けたばかりのピアスに触れる。じわりと、灼けるみたいな痛みが広がる。
 この痛みが、一生消えなければいいのに。
 そんなことを思って、來架は静かにため息をついた。


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