好きな人の 好きなひと -01-


 会議室へ向かおうとして廊下に出た足元にひらりと葉書が落ちてきて、來架らいかは腰を屈めてそれを拾い上げた。落ちてきた方を見れば、小さめではあるが段ボール箱を二つも重ねて抱えた女性社員が、箱の上からいくつも郵便物を取り落としている。
「あ、あ、」
 慌てた様子の女性社員は箱を抱えたまま廊下の端で右往左往していて、來架は即座に駆け寄った。
「大丈夫?」
 女性社員の手元から、箱を二つとも取り上げると、來架を振り向いた女性社員はほっとしたように顔を綻ばせる。
「あ、佐藤さん! すいません、ありがとうございます」
「ああ、いいよ。箱持つから、それ」
 床に落ちた郵便物を顎で指し示すと、女性社員は慌ててそれらを拾い集めた。
「これ、どこに持ってくん?」
「あ、営業の席に」
「何が入ってるんコレ。見た目より重いなぁ」
「たぶん注文してた書籍です。一つずつ運べばよかったんですけど、私が横着しちゃったもんだから。すいません持ってもらっちゃって、一つ持ちます」
「んーいいよ大丈夫……」
 女性社員が箱を持とうとするのを左へよけたら、その左側から上の箱が一つ、ひょいと取り上げられた。お、と思って見上げると、そこには長身の姿。
長田おさだ
「長田くん!」
「何やってんすか佐藤さとうさん。もうすぐミーティング始まりますよ」
「ちょっとくらい遅れたっていいよぉ。一人で重そうなん運んでるの、見過ごせないでしょ」
「おー、さすが『総務の佐藤さん』」
 茶化してきた一八〇センチオーバーの男は、総務課に勤める來架の後輩で、長田琥太郎こたろう・二十五歳。大変顔面の造りが良くて人当たりも良いので、その長身も相まって非常に女性受けが良い。荷物運びを手伝ってもらっている女性社員も、來架相手の時とは違う、かしこまって緊張した顔を見せている。
 対する佐藤來架・三十二歳は、初対面の相手は大抵臆してしまうほどの社会人らしからぬ茶ピンク頭をしていて、その両耳にはぎょっとするほどの数のピアス穴が開いている。
 色白の顔には、左目の下と左頬の真ん中、唇の右横と右下に、特徴的な四つのほくろが目立つ。眉は分厚い前髪に隠されて、その表情は読みにくい。
 身長は一七〇センチに届かない程度で華奢な体型ではあるが、一見すると愛想の悪いヤンキー上がりでしかない。
 しかし口を開けば西の訛りがあるおっとりした口調で、他の社員への接し方は常に誠実で親切。その見た目と中身のギャップの大きさで名物社員となった『総務の佐藤さん』は、仕事ぶりにおいても総務課の大黒柱である。
「ここ置いといたらいい?」
 営業課のキャビネットに荷物を置くと、女性社員はしきりに頭を下げた。
「ありがとうございました、助かりました」
「んーいいよぉ」
「あ、よかったらこれ、お客様からの頂き物なんですが」
 女性社員が菓子折りの箱を開けるのに、來架は手を振る。
「僕甘いのだめなんで」
「あ、じゃあ俺もらいまーす」
 隣の長田が、調子よく箱に手を伸ばし、女性社員はふふっと好ましそうに笑った。
 長田のこういう懐っこいところが、人から愛されるのだろう。甘え下手な來架には、それが少し羨ましい。
「相変わらずモテるな、長田」
 女性社員と別れて隣の長身を見上げると、長田は意味深長に目を細めて來架を見つめる。
「肝心な相手にモテなきゃ意味ないっすけどね」
「……趣味か視力が悪いんだな、可哀想に」
「またはぐらかす」
「はぐらかしてるんじゃなくてお断りしてるんよ」
「めげない強い子なんでご心配なく」
「心配もしてないよ」
 ひらひらと軽やかにかわす來架を、恨めしげに長田は見つめる。
 総務に配属されて以来、やたらと來架に懐いてきて、來架がゲイであることを嗅ぎ付けて口説いてくる長田だが、來架は一切それを相手にしていない。
 なぜなら來架には、れっきとした恋人がいるからだ。
「あ、來架ー」
 長田と連れ立って会議室に向かっていると、営業課の島から呼び止める声。振り返ると、來架の同期で同い年の花村はなむら浩二こうじが、こちらに向けて手を振っている。
「今夜取引先の担当者と飲むんで、こいつ連れてくから。面倒かけるかもだけど、後頼むなー」
 こいつ、と親指で示されたのは、花村の後輩で、長田と同期の瀬野せのあおい。來架は瀬野と社宅アパートの部屋が隣で、互いの部屋を行き来する仲だ。
 特に酒に弱い瀬野が酔ったときは、必ず自宅ではなく來架の部屋に帰ってくる。これまでも何度も、花村の肩を借りて部屋まで戻ってきた瀬野が、來架の部屋の呼び鈴を連打して花村に叱られている。
「んー、わかった。じゃ瀬野、夜に」
 ひら、と手を振り返すと、花村の後ろにいた瀬野が小さく会釈した。
「おまえ、あんま來架に迷惑かけんなよー」
 呆れ顔の花村が、瀬野の頭をくしゃっと鷲掴み、首を竦めた瀬野は笑っている。
 その花村の左手の薬指から、ここしばらく指輪が消えていることに、瀬野も気づいているだろうか。
「瀬野って佐藤さんと部屋が隣なんでしたっけ」
 長田が來架の隣で口を尖らせる。
「んー、そう」
「いいなぁ。瀬野と部屋交換してもらえないかな。総務特権で書類をちょちょいと……」
「そんなことしたら懲戒事案だからな。だいたいやだよ、同じ部署の後輩が隣とか」
「付き合い始めたら便利じゃないですか、彼氏が隣の部屋とか」
「誰と誰が付き合うんよ……」
 やりとりに疲れて、來架は盛大にため息をついた。
「ほら、いらんこと言っとらんと、はよミーティング行こ」
 会議室へ向かう足を急がせると、長身の長田は余裕でついてくる。
 顔が良くて背が高くて足も長くてスタイルがいいなんて、こんなスペックの男がなぜ自分に執着するのか、來架にはよくわからない。わからないのであまり関わりたくない。
 そして、特にこの長田には知られてはならない。
 來架の恋人が、隣室の瀬野であることを。