紺野の発熱は、ただの風邪だったらしい。
その風邪をなぜひいたかというと、いつもジムで風呂を済ませる紺野は、家が近所なのもあって風呂上がりにはこの晩秋でも半袖Tシャツしか着替えとして用意がない。
しかし先日は帰る段になって予定外にケイと出くわし、しかも奏太と紺野が別れたと聞いてヒートアップしたケイの追及からはなかなか逃れられず、紺野は見事に湯冷めをした。
しかも奏太と別れて以来あまり睡眠も食事もとれておらず、体力が低下していたところを大風邪に直撃され、あの高熱に至ったとのことだった。
間接的に紺野の風邪が自分のせいであることを知った奏太は、ひれ伏す勢いで紺野へ謝罪した。
けれど悪寒の段階で内科を受診していたお陰で(このとき医者からは喉の腫れがひどいから高熱が出るかもとは言われていた)、もらっていた風邪薬はよく効き、奏太が見舞った翌日には熱も引いて喉の痛みと鼻水が少し残る程度まで治癒した。
そばで看病していた奏太には、紺野が接触を自重した甲斐あって風邪がうつることもなく、翌々日には二人揃って元気に出勤することができた。
出勤した際、紺野が奏太に「深刻な顔して社長に『折り入ってお話が』って言ってこい」と言うので、言われるままにやってみたところ、社長は苦悶の表情でピースをし、「さ、三倍は難しいから、二倍で手を打ってくれないか!」などと言い出した。訳もわからずきょとんとしていたら、背後で紺野が腹を抱えて笑っていた。
未だに紺野と社長の関係性が奏太にはよくわからない。
「なんだー、より戻っちゃったんですね」
残念そうなのを隠そうともせずに、紺野を目の前にしてそんなことを言ってのけたのは当麻だ。
「まあ、だからと言って僕は柚木さん諦めませんけどね。つけ入る隙はありそうですし」
しらっとした顔で重ねるものだから、まだ当麻から告白されたことを紺野に話していなかった奏太は、バチバチの二人の間で大いに慌てた。
「と、当麻、何言って」
「ねえから。んな隙ねえから!」
「いやいや、現に一回別れてるじゃないですか。柚木さんすぐ一人で勝手に不安になってフラフラするから、日中一緒に仕事してて相談にも乗れる僕に分がありますね」
「ちょ、あ、あの」
「そんなわけがねえだろ! 地球半周分出遅れてるわバーカ」
「……やだなぁ、三十にもなって煽り方が小学生男子じゃないですか」
「こ、こら当麻っ」
「上等だぁ、てめえ」
「紺野さんも! どうどう!」
今後もこの面子と仕事していくのかと、長身に両側から挟まれて、先が思いやられる奏太だった。
そんな三人を、遠巻きに奥寺が見つめている。奏太と目が合うとにっこりと愛想よく笑いかけてくれるけれど、この奥寺の本性についても奏太は紺野から聞かされていた。
自身は色恋に一切の興味がなく、恋愛沙汰で悩む紺野相手にソフトな罵詈雑言を浴びせかけるというのだからなんとも恐ろしい。一見そんなふうには見えないあたりがまたいっそう。
そして恐ろしいといえばもう一人、紺野の湯冷めの元凶であるケイだが、しばらく忙しいとのことでまだ直接会ってはいない。奏太に言いたいことが山ほどあるようで、来月ゆっくり時間を取って話そうと念押しされている。奏太は戦々恐々だ。
ようやく戻った以前と同じ日常。金曜の退社後には、一緒に食事をとって紺野の部屋へ向かう。
その翌日、白昼の風呂場で奏太はギブアップの呻きを上げていた。
「紺野さ……、も、昨夜から四回目……」
腰を掴まれて背後から挿し貫かれて、奏太は必死で浴室の壁に縋りついた。前夜から何度も侵入を許したそこは、内にたくわえたぬめりで簡単に最奥まで紺野を招き入れてしまう。
「あ、あぁ……尻がバカになる……」
息も絶え絶えに訴える奏太の腰を掴み直して、紺野はまた律動を開始する。
「大丈夫だ、しっかり締まってる」
「言わなくていい、そーゆー……ぅ、あぁ」
奏太の弱いところを知り尽くした男の的確な動きに、腰が砕けそうになったところを後ろから抱き留められ、また結合が深まって奏太は力なく喘いだ。
「どう、ちゃんとわかってくれた?」
「はぁ、はぁ、……充分、わかりました」
だからもう勘弁してくれと、奏太は肩越しに紺野を振り返った。待ち構えていたようにくちびるを塞がれる。
昨夜も紺野は繰り返し奏太を抱き、深夜まで及んだ睦み合いに力尽きた奏太は、汚れた体もそのままに眠り込んでしまった。
昼近くに目覚めてガビガビの体を洗い流さねばと、急いで風呂場に来たら紺野もついてきて、そこでまたワンラウンド開始となった。
確かに昨夜、紺野は奏太を抱く前に「おまえはちょっと、俺の愛の重さを思い知るといいよ」と言って昏い笑みを浮かべていたが、まさかこんな絶倫ぶりを発揮されるとは思っていなかった。
しかも、以前奏太があまり激しいセックスは得手ではないと言ったことをしっかり覚えていて、嫌味のように一回一回がまあ丁寧で長い。悪く言えば、ねちっこい。毎回きっちり完全にいかされて、奏太は疲労困憊だ。
今回も奥まで突いて、ゆっくり抜いて、またゆっくり突いて、をこれ見よがしな丁寧さで繰り返されて、奏太は全身総毛立たせた。
「ひぁ……あ、もう、ほんとに……よーくわかったから……」
昨夜から搾り取られて、もう一滴も出そうにないのに、内側を擦る紺野を生理的な蠕動が締めつけ、勝手に入り口がきゅうっと窄まって啜り上げる。
「ん、ん、ぅ」
「……っ、なあ、俺が女相手に淡白だったって言ったら信じる?」
「は!? 嘘でしょ……」
「嘘じゃないんだよな。いいとこ隔週、普通で三週間に一度」
「週に三度の記憶改竄じゃないの……」
「ふ。だからこれも、俺が元々ゲイだったんじゃないか疑惑の根拠」
ぱん、と音を立てて紺野が奥を穿ち、奏太の視界がぶれた。
「あぅ……お、男相手だったら、やりたいってこと?」
「うん? まあ、そう言ったら身も蓋もないけど」
ぴたりと紺野の胸が奏太の背に重なり、紺野が奏太の耳朶を食む。
「おまえ相手だから特に。……って言ってほしいんだろ?」
「あ……!」
不意打ちの甘さに動揺した瞬間、奏太の全身が痙攣し、ひときわ強い締めつけが紺野を襲った。
「わ、きっつ……! おまえ体は素直だなぁ」
「……っずるいんだって、紺野さん……!」
奏太は渾身の力で背後の紺野を押し退け、楔を引き抜いて体を反転させる。紺野と向き合い、その両頬を両手で挟んで強引に引き寄せた。
「っ……」
くちびるが重なり、奏太が紺野の口内に舌を差し入れる。珍しく積極的な奏太からの深いキスは、からかう紺野を黙らせるためではあったけれど、紺野はおとなしく受け入れて奏太の背を抱いた。
性交と等しい深さで舌を絡ませ合い、溢れそうな唾液を吸い上げると、紺野の眼前で奏太が閉じていた瞼をうっすらと開けた。
「好き」
くちびるを触れ合わせたまま、奏太が言う。
「ずっと、俺と一緒にいて」
瞳を涙で潤わせて乞う。そして、紺野の首に腕を絡ませてしがみついてくる。
もう大丈夫かな、と紺野は思った。
奏太がこうして、言葉にして紺野へ伝えられるようになったのならば。
「……うん。俺は最初からそのつもりだった」
少しの意趣返しを込めてそう言ってやると、肩口で奏太がふふっと笑う。
「ごめんね紺野さん、もう逃げないから」
「……ほんとに、頼むわ」
この感じなら。この奏太となら。繋いだ手を解かずに、この先も共にいられるような気がする。
離れたくないし、離したくないし、離してほしくないと、たぶん今はお互いにちゃんとそう思えている。
ぎゅっと、紺野は奏太の体を抱き直した。
「もっといっぱい、話しような。いいこともやなことも、おまえが何を不安に思うのかも、全部聞きたい。俺もちゃんと話すから」
そういうことが、きっと足りていなかったのだ。自戒を込めて、紺野は奏太に提案する。
「うん……たぶん全部話すと、俺すごい重たいですけど」
「重さなら負けてねえと思うわ」
確かに、と奏太が笑う。わかっているなら話は早いと、紺野は奏太の耳元にくちびるを寄せた。
「ベッド行こ」
囁かれた奏太は、青くなって紺野を見上げる。
「嘘でしょ」
「おまえ、週明け出勤するまで服なんか着られないと思っとけよ」
「じ……冗談ですよね? ねえ?」
腕を引かれて半泣きの奏太の問いかけに、紺野は笑うばかりで答えない。
土曜の昼下がりの時間は、濃密に流れていった。
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