夕方の図書館で、恋の始まる瞬間を見てしまった。
小柄なかわいい女の子が、精一杯背伸びをして本棚上段の本を取ろうとしている。ちょうど近くに踏み台もなく、女の子は一生懸命手を伸ばしているが、目当ての本にはあと数センチ届かない。
背伸びにも疲れて困っているところに、長身が通りかかった。
「これですか?」
囁きの音量で確認して、男は彼女が取ろうとしていた本をひょいと抜き取り、優しく手渡す。
「あ、ありがとうございますっ」
「いいえ」
長身はさらりと控えめな笑顔を見せてそのまま去っていき、女の子はその背中をハート目で見送った――
っていうベタな展開の一部始終を偶然目撃してしまった俺がその長身野郎の彼氏なわけなんだけども、どういう気持ちでいればいいっつうの?
(大樹のバカ! 無闇に女にいい顔してんじゃねえよ!)
中高一貫の男子校育ちの大樹は、異性との距離感とか感情の機微とかに疎いところがある。たぶん学部の女友達の何人かからは狙われているのに、本人はそれに全く気づいていない。
俺は悠先輩みたいにモテないですから、とか本気でそう思って言ってるっぽいけど、背が高くてガタイがよくて優しくて気が利く男なんか、顔はそこそこでもモテるように世の中できてるんだよ馬鹿野郎。
俺以外に優しくするな。愛想よくするな。モテるな。モテてることに気づくな。
――そうじゃないと。
ただでさえ本当はゲイじゃないおまえが、男の俺とつき合っていることに、違和感を覚えてしまうかもしれない。本当は俺じゃなくて、もっと相応な相手がいることに気づいてしまうかもしれない。
他の恋を、知ってしまうかもしれない。
(……やだし。そんなの、全然認めねえし)
図書館を出て、待ち合わせ場所へ向かう足取りが重くなる。俺のバイトまでの時間、一緒にカフェにでも行こうという約束をしていたのだけど、楽しみだったはずのその約束が急に億劫になる。
待ち合わせ場所に先についているはずの大樹が、さっきの女の子のことを思い出して、かわいかったなぁなんて考えていたら。俺と過ごす時間に、上の空であの子のことを思い出していたら。
……いやだし、悲しいなと、思うんだ。
(でもまあまず殴るけどな)
きりっと開き直って、待ち合わせ場所の欅の大木に向かう。思った通りに先にその木の下で待っていた大樹は、こちらが声をかけるまでもなく、近づいていく俺に気づいて手を振った。
「先輩!」
その満面の笑顔が、さっきまでの俺の昏い思考を一瞬で払拭する。
「お疲れ様! 先輩今日荷物多いですね。本? もしかしてさっき図書館いた? 俺も行ってたんですよ。会えてたらよかったのにね。鞄、重い方持ちますよ。ほら貸して」
さっき図書館で見た大人っぽい好青年はどこへやら、完全に飼い主の気を引きたいワンコだ。
たぶんこんな大樹を知っているのは俺だけだ、と思うと勝鬨を上げたいような気持ちになった。
「おまえ、今日も100%、俺だな」
「ん? 当たり前でしょう?」
「よし100点」
「??」
わかっていない顔の大樹に重たい方の鞄を渡して、その頭をわっしと撫でる。
世の女性陣へ告ぐ。
こいつは俺のものです。
<END>