頭が沸きそうだ。
糸井を背から抱き、羽交い締めにするようにきつく抱き締めながら、糸川はぐるぐるとそんなことを思っていた。
糸井の制止で一度は冷静になったはずなのに、律動を始めてしまえば一瞬で理性が攫われてしまう。
もっと深く、糸井の躰の奥の奥、心の在るその中心まで、楔を打って刻みつけたい。この子は俺のものだと、消えない印を残したい。本当は、誰の目にも触れないところに閉じ込めて、ひとりでその存在を愛でていたい。
いっそ奥で繋がったまま、交わってひとつに融合してしまえたらと思う。そうしたら別離に怯えることもないし、不在を寂しく思う夜もない。
けれどしっとりと汗の浮いたうなじをどれだけ舐めてもその肌は溶けやしないし、感じて震える糸井の襞が強く糸川を締め付ける度、別の個体であることを認識させられてしまう。
深く抱けば抱くほど、もどかしくて歯がゆくて、求める熱が一向に引かない。
「あ、あぁ、……はぁ……、あ、糸川さん……待って」
絶え絶えの息で肩越しに振り返った糸井のくちびるを塞ぐ。
お願い、止めないで。止められても止まれない。
「んむ……ぅ、も、また……」
「うん……僕もいきそう」
「ん……っ、いや……」
「いや?」
「抜いちゃやだ……」
枕に縋った糸井が、声を震わせる。
前にもこんなことがあった。糸井が糸川の気持ちを誤解して長く離れていた後、和解して体を繋げたときだ。
寂しさを埋めるように、糸井は糸川を求めた。今も同じなのだろうと、糸川は思う。
今、糸井は寂しいとは、一言も漏らさないけれど。
「……僕、ゴムつけてないよ」
「うん……」
「中で出したら、僕が掻き出すんだよ。今日は出てくるところも見ちゃうよ。それでもいいの?」
「うん、いい」
いいから、と、糸井が体を返しながら手を伸ばしてくる。そのてのひらに口づけ、体の柔らかい糸井と繋がったまま向かい合わせになった。
「……ぎゅってして」
甘えた声が嬉しくて、言われる通りにぎゅうっと細い胴を抱き締めながら、強く引き寄せるようにして腰を進める。
「――う、ぁ」
いちばん奥を窺われて、糸井の腰が引ける。それを引き戻して、糸川は構わず、すぼまった先を貫いた。
「っあ……! あ、あ、あ」
糸川の背に回された腕がきつく縋りついて、短い爪が皮膚に食い込む。痛みが余計に興奮を煽って、糸川は何度も奥を抉った。
あおのいて喘ぐ糸井の眉が歪み、呼吸が荒れて速くなり、汗が浮いて玉になる。強すぎる性感から反射的に逃げようとする体が、ベッドの上で大きくしなってシーツを波打たせる。
目の前の恋人のしどけない痴態に込み上げる激情を抑えられず、糸川は奥歯を噛み締めた。
「……っ、ぁ、……――」
そして最後、糸井の全身を痙攣の波が襲い、声もなく、射精もなく、なすすべなく諦めたように弛緩していく。
その中で、糸川は吐精した。己の欲の分泌を、確かにその奥に注ぎ込んだはずだった。
それなのに。
「――あ、嘘……」
抜かないまま律動が再開されるのに、狼狽えた糸井は息を飲んだ。一度は自分の中で嵩を失ったはずの糸川が、徐々に硬度を取り戻していくのがわかってしまう。
糸川が小さく抽挿する度、中に注がれた精液が泡立って卑猥な水音が立つ。いたたまれない糸井は、思わず自分の耳を塞いだ。
「や……なんで」
「なんでって。糸井くんがかわいいからだよ」
止まれない責任を糸井に転嫁して、乱れた髪を撫でて口づけて、塞いだ手をどけて耳朶を食むと糸井が息を詰める。
「このまま、もう一回」
いいか、とは訊かずにただ微笑みかけたら、目元を手の甲で隠した糸井は、観念したようにこくこくと小さく頷いた。
その後、ベッドで一回、浴室で一回、糸川と繋がってベッドに戻ってきた糸井は、ころんと横になった瞬間に眠ってしまった。
それもそうだ、九時過ぎに大阪へ到着する新幹線に乗った糸井は、きっと六時前には家を出たのだろうし、であれば起床はもっと早かったはずだ。乗車中はほとんど寝ていたと言っていたが、それも疑わしい。何せトイレでプラグを仕込んでいたというのだから。
向こうから求めてきたとはいえ、寝不足の状態で無理をさせたことを反省して、糸川は寝息をたてる糸井をそっとしておくことにした。
横で寝顔を眺めていたら、いつの間にかつられて糸川も眠っていたらしい。目を覚ますと時計は午後二時を過ぎていて、隣の糸井はまだ眠っている。
喉の乾きを感じて、そっとベッドを降りて寝室を出た。キッチンへ行き、冷蔵庫からミネラルウォーターを出してグラスに注ぐ。それを半分ほど飲んだところで、背後で寝室のドアが開いた。
あまり開いていない瞼をこすりながら、Tシャツに下着を穿いただけの糸井がぺたぺたと裸足で寄ってくる。黙って糸川の横まで来ると、糸川の左肘あたりに手を掛けて、ぴったりとくっついて肩に頭を載せてきた。
「……水飲む?」
「んー……」
半分寝ているような声で頷いた糸井に飲みかけのグラスを手渡すと、一口飲んで、そのグラスを糸川に返して寄越す。
「ん」
「もういいの?」
「んー」
返されたグラスの残りを糸川が飲み上げる間も、糸井は目を閉じて、糸川の腕にくっついていた。
「ごめんね、起こした?」
「んーん」
「ご飯行くついでに、大阪観光でもする? 僕もあんまり案内できるほどじゃないけど」
「んー……」
寝ぼけた声で唸った糸井は、糸川の肩の上で目を擦る。そして髪を撫でようと伸ばした糸川の手に頬をすり寄せて、ぽつりと、「スーパー」と呟いた。
「え?」
「スーパー……近くにあるって言ってませんでしたっけ。野菜がバラで売ってるとこ」
「あるけど。え、行くの?」
「うん……ミネストローネ作らないと」
ノルマのように決めごとを口にした糸井に、一瞬糸川は何のことかと目をしばたいて、そうして思い出した。そういえばちょっと前の電話で、糸井の作るミネストローネが食べたいとねだったことがあった。
言った糸川の方は忘れていたし、そもそも大阪まで来てくれた糸井に炊事などさせるつもりはなかったが、半分戯れ言だったそれを、律儀に覚えていた糸井は遂行してくれようとしているようだ。
「わざわざこんなとこまで来て料理してくれなくてもいいんだよ?」
いたわった糸川に、糸井は片眉を上げる。
「……いらなかった?」
真に受けた自分を恥じるように、前髪を掴んだ。その糸井に、糸川は大真面目な顔で、
「正直に言うとものすごく食べたい」
と白状する。それを聞いて糸井は、ほっとしたように笑った。
「じゃあ、是非作らせてください」
「是非お願いします」
ふふ、と笑い合って、額を寄せる。
糸井の帰りの新幹線まで、あと二十七時間。
そのときのことを考えるともう寂しくなってしまうけれど、それまでの二人きりの穏やかな時間を、大切に過ごそうと糸川は思った。
<END>