どうしたら小林に想いが届くだろう。
どうしたら小林の頑なな気持ちを変えられるだろう。
そんなことばかりを考えていた。
小林ほど長く生きていない自分にとっては、一年が、一日が、あまりに長くてもどかしくて。
結論を急いて、一足飛びに関係を変えようと焦って、時を追って互いの間に築かれるべきものが積み上がるのも待てないで。
それではダメだったんだ。
そんな自分では、大人である小林の目には、恋愛の対象としては映らないんだ。
萱島が、振り向く可能性の見えない守谷の気持ちが向くのを待ったように、そしておそらくは同性というだけで恋愛の対象外だったであろう萱島を、守谷が受け入れる気になったように。
変えるにも変わるにも、時間がかかる。それはいつまでとも知れない、ひょっとしたら永遠と等しい時間かもしれない。
待つには覚悟がいる。待っても願ったときが訪れるとは限らない。見えない可能性を信じるのは怖い。
――お前が何の無理もしないで幸せになれる恋愛が、もっとお前の近くにあるはずだよ。
小林自身がそう言った。見切りをつけて他の可能性へ向かうのも自分の自由だ。小林を諦めて、もっと手近で確実な恋を選ぶ方が、きっと楽だ。
でも、諦めれば小林が自分を振り返ることはない。
どちらがいいか、選ぶのは自分。
――諦めなきゃいいんだよ。
萱島はそう言った。成功した者だけが言える結果論かもしれない。それでも、萱島が途中で諦めていれば守谷は絶対に、萱島の恋人にはなっていなかっただろう。
再び自分へ問う。瞼の裏に小林の姿を返して、彼を諦められるかと。
本当は問うまでもなかった。
……答えは否だ。
数学の授業前、小林は出席確認のために一人一人の名前を呼んだりはしない。空席を見つけて、座席表と照合し、朝から休みなのかを他のクラス員に問う。
今日もいつもの出席確認をしたあと、春樹は小林がちらりとこちらに視線を寄越したような気がした。春樹がちゃんとそこにいることに、安堵するような目で。
授業が始まって、小林が薄い背中をこちらに向けてホワイトボードの高い位置から板書を始めてしまえば、もう滅多に目が合うこともない。それでも春樹は、飽きずに小林の姿を追い続けた。
いつか小林の春樹を見る目に、特別な色が混じるのを待って。
「小林」
低い声に呼び止められて小林が振り向くと、白衣姿の長身が人気のない廊下の向こうに立っていた。
「…紘介」
まだ笑みを返すには苦労が要ったけれど、紘介が間近に寄ってくるまでに、小林は頬の強張りを解いた。
「生徒から迫られてるって? 相変わらずモテてんな」
からかうような声色に、小林もにやりと笑って乗ることにした。
「おかげさまで言い寄ってくるオトコには不自由してないのよ」
だから自分を振ったことは気にしなくてもいいと、暗に含ませながら小林は言う。それを汲んであえて蒸し返さずに、紘介は笑った。
「男限定かよ。カウントもしてもらえない女子たちが泣きそうだな」
「ふふふ、カウントしてもらえてないのはこっち。告白してきた子達はみんな、もう彼氏持ちよ」
年上の身近な大人に憧れがちな十代の少年少女の気持ちの移ろいやすさは、紘介も小林も見知ったもので。
「あの子達の『ホンキ』は、真に受けるだけこっちが損だわ」
小林がその中にしっかり春樹も含めてしまったことに気づきながらも、紘介は「確かにな」と頷いた。
二人の間に、湿り気のない空気が流れる。微かに残る気まずさも、たぶんすぐに消えるだろう。
よかった、と小林は思った。
「…ありがとね」
感謝が、唐突に小林の口をついた。何が、と問おうとした紘介は、ともすれば涙の浮きそうな小林の淡い表情に、口を噤んだ。
紘介の手が、くしゃくしゃと小林の頭をかき回す。横に流していた伸びた前髪が、滲んだ視界を覆った。
されるがままになりながら、もうあの窓際には立たないと、小林は決めた。
主を失った窓辺は、もう他の窓たちと変わらない顔をして、並んだ二つの部屋を見守り続ける。
そこへ二つの影が戻ってくるのは、もう少し先の話。
<END>