We've only just begun -12-


 あれから中村は、3日間の絶対安静を院長直々に言い渡された。
 亜弓が失踪していた1週間、ろくに物も食べず夜も眠れず、しかも3日連続で夜勤というスケジュールをこなした、当然の結果の過労だった。
 そして亜弓はといえば、病院の薬を『踏み潰した』かどで、橋本からとっぷり叩かれた。1週間もほとんど無断欠勤だったことについては、未消化の有給が大量に残っていたのもあってきつくは言われなかったが、それでも以後2ヶ月の有給休暇は認められないと勧告された。亜弓は普段から頭の上がらない橋本に、いつにもまして低姿勢になっていた。石田は隣で笑っていた。
 また、来院が遅すぎた西山栄治は病状の悪化が著しく、入院を始めてたった1ヵ月半でホスピスに移ることになった。本人が強くそれを希望したからだった。
 そして、亜弓が実父の死を中村の口から知らされたのは、それから更に3ヵ月後のことだった。
 亜弓は、中村の予想に反して泣いた。べつに喜ぶとも思っていなかったが、ベッドで抱き合った後自分の腕の中で泣きじゃくる亜弓を慰める自分が意外だった。
「なんでこういう時って、楽しかったことばっかり思い出すんだろう……」
 亜弓はそう言ってしゃくりあげた。
「母さんが死んでから最初の俺の誕生日に、あの人俺だけのためにこんなでっかいケーキ買ってきてくれたんです。プレゼントも、何でも好きなもの買ってやるって言ってくれて……その夜は何もしないでくれた……」
 それ以上多くは語らなかった亜弓を、中村はじっと抱いていた。

 亜弓がこの痩身に、どれほどの傷を抱えているのかはやはり中村にもわからない。なんだか、掘り起こせばまだいくらでも出てきそうな気もする。あるいは亜弓の足元は底なし沼であるかのような気さえする。
 だが、だからこそ、体を張ってでも沈まないように支えてやりたいと思う。そして沈むなら、その時は一緒に沈んでやりたいと思う。
 できるなら二人で浮上してゆけるように。
 共に幸せになれるように。
 それは決して簡単なことではないだろう。だが難しいことでもないはずだ。小さな幸せというのは案外どこにでも転がっている。それを目聡く、一つ一つ拾い集めてゆけばいいのだから。
 僕らはまだ、始まったばかりなのだから。

「いつまでも…僕が傍にいるよ」
 亜弓の少し伸びすぎた髪に隠れそうな耳元に一つ、小さな幸せの誓いを落とした。


<END>