「ばぁか」
くっきりと掌型に頬を赤く腫らしたおれの顔を見据えて、仙は遠慮もなく言い放った。
「今年に入って何人目だ」
「…3。…4人目?」
冷却シートの透明フィルムをはがす手を止めて指を折ると、仙の大好きなもにゅもにゅな感触のパウダービーズのクッションが、おれの頭めがけて投げつけられる。
「あー、あー。くっついた」
ぼす、と音を立てておれの頭に命中した黄色のクッションは、おれの手元でフィルムのはがれかけた冷却シートにくっついてしまった。それを丁寧にはがしていると、また仙が、もはや口癖のように 「ばぁか」 と伸びた言葉で罵った。
「なんでおれがばか。仙が悪いのに。これで粘着力が落ちたよ、もう」
ぶつぶつ言って、それでも綺麗にはがれた冷却シートを左の頬に貼り付ければ、ひんやりとした感触に落ち着かない気分になる。熱を持った痛みがじんじん、その上から不思議な冷たさがじんじん。
「はみ出してるぞ」
意地悪く笑いながら言う仙に 「え?」 と問い返すと、仙は自分の左頬を指差して、 「もみじ」 と笑った。
「これってそもそもオデコに貼るものなんだよね。サイズがちょっと、横幅がね。足りないよね。もう少し広くしたりしないのかな」
「お前みたいに毎回ほっぺたがお世話になる奴ばっかいないんだろ」
いつもいつも難しい言葉しか使わない仙がほっぺた、なんて幼い言葉を使うのがちょっと可愛くて、くす、と笑ったら不機嫌そうに顔をしかめられてしまった。
「なんだよ」
「んーん。なんでもない」
笑いを収めて、冷却シートの上から腫れた頬を掌で包んでみる。痛いし、悲しくないわけでもないので、ちょっと泣きたい気分になった。
「あーあ。なんでおれが彼女にフラれるといつも仙がいきなり来るのかな。仙にはおれの失恋センサーでもついてんのかな」
「虫の知らせってやつだな」
「おれまだ死んでないよ」
ひどい、と呟くおれに、虫の知らせって別に訃報って意味じゃねぇんだぞと言いながら、仙がクッションを投げて寄越せ、とジェスチャーした。本当に、仙はこの黄色いクッションが大好きだ。うちに来ると、延々これを抱いている。
ぽん、と軽く投げ返してやると、片手で受けた仙はそれを枕にごろりと寝転んだ。
「それにしてもなんでお前はそんなに女と続かないんだかな」
お顔がいいからモテるだけはモテるのにな、と心底不思議そうに仙は言う。その点についてはおれも不思議なので、一緒になって首を傾げてみる。
「うーん。…あのさぁ。女の子ってさ」
「あ?」
「すごく勘がいいとこがあるじゃない」
考え考え、納得してもらいやすい言葉を選ぶと、仙も 「あー、確かに」 と同意してくれた。
「…だから、わかっちゃうんじゃないかなぁ」
「何が」
「おれに、他に好きな人がいるコト」
言うと、仙の眉間にみるみる皺が寄る。
「お前、それでなんで付き合うのよ」
「だって。付き合って、て言われるから」
「はあぁ? お前それだけで付き合ってたのかよ」
ウン、と正直に言うと、仙はそっぽを向いて、深く深くため息をついた。
怒らせたかな、と思うけど、本当のことだから仕方ない。セックスの最中に無意識に好きな相手の名前を呼んで、その場で殴られて別れたこともある。代わりにするつもりはないし、付き合えばその相手を大切にしようとも思うし、別れのときまでは相手も優しい彼氏だと誇ってくれたりもする。
けれどちょっとしたきっかけで、おれの中の抑えられた気持ちを、女の子には見透かされてしまうのだ。
「お前、男として最低だよなぁ」
そうかも、と自分でも思う。
「好きな子が他にいるんなら、誰に付き合ってって言われてもちゃんと断れよ。そんでちゃんと本命の子に、告白しろよ男らしく」
それができれば他と付き合ったりはしない、と胸の中でそっと反発する。
「あーあ、お前が俺の彼氏だったら、もみじくらいじゃすまさねぇぞ」
戯れのようにそんなことを言う仙に、ふと過敏に反応しておれは顔を上げた。
「仙はおれと付き合ったりなんか、しないじゃない」
普段のおれの、どちらかといえば平坦なトーンと比べるとやや強い声に、仙も気づいて少し驚いた顔をして、けれど深くは取り合わず、軽く笑った。
「はは。そりゃそうだ」
笑う仙につられて、おれも笑った。
そうなのだ。
仙はおれと付き合ったりなんか、しないのだ。
「ビールもらうぞ。冷えてたよな」
やにわに立ち上がり、仙は勝手知ったる他人の家とばかりに台所へ行き、冷蔵庫の中を物色している。一番冷えたビールを探して、さらには何かつまみを引っ張り出してくるつもりなのだろう。
「仙」
その後姿に、あてもなく、名を呼んだ。
「あ?」
呼びかける声に、仙は振り返ってくれるけれど。
「なんだ、お前も飲むか?」
本当に欲しい言葉が返ってくることは決してないと、おれは知っている。
「二番目に冷えたやつでいいよ」
おれは笑った。
ほんの少し、語尾が掠れた。
仙が寝転がっていた場所に、黄色いクッションがへこんだ形で残っていた。
<END>