『年一OB会の案内でーす。健どうする? 今年も行く?』
日時と会場の案内も届いて、健はフムと顎をつまむ。
返事をどうしようかと考えていたら、充希から電話がかかってきた。
「もしもし」
『お疲れー。今大丈夫?』
気負わない軽やかな声に、緊急の用件ではなさそうだと察して、メガネを押し上げて健は頬を緩める。
「大丈夫ですよ。仕事終わって家に帰ってきたところでした」
『俺も俺も。飯食ってきたからこれから風呂』
「なに食べたんですか?」
『親子丼ー』
「あーいいな。俺も食べたくなってきた。鶏肉あったっけな」
『え、おまえ料理すんの?』
「多少は。そういえばいつも外食で、作ったことなかったですね」
『まじかー。胃袋掴まれてやってもいいぞ』
「ははは。じゃあ今度。柳瀬さんち調理器具全然ないから、俺んちに来たときにでも」
『やった。すげぇ美味いの出てきそう、とか言ってハードル上げといてやろ』
ひひひ、といたずらな声を立てて笑って、充希が『ところでさ』と本題に入る。
『今年のOB会の案内、おまえんとこにも来た?』
問われ、健はネクタイを緩めながら冷凍庫を開けた。ちょうど使い残していた半端な量の鶏肉があって、これを親子丼に使ってしまおうと取り出す。
「まさに今日来ましたよ、前川から。来月の第三土曜って。俺は行こうと思いますけど、柳瀬さんはどうします?」
『うん、俺も行こうと思ってる。……でさ、相談なんだけどさ』
凍った肉を電子レンジの解凍にかけて、少し口ごもった充希の声に耳を澄ます。
『あの……おまえとのこと、
「榎本さんに?」
やや動揺して、健は反問した。
榎本は、充希と同学年で、充希や芳井と一緒にバンドを組んでいたメンバーである。おそらく今も、充希とは最も親しくしている友人で、去年のOB会でもずっと一緒に飲んでいた。
『いや、おまえが嫌ならもちろん言わない。おまえがゲイなことオープンにしてないのもわかってるし。けど榎本の口の固さは信用できるし、あいつずっと俺のこと心配してくれてたから、おまえが相手だって知ったらきっと安心してくれると思うんだ』
「ああ……」
充希の言うことはよくわかる。
芳井の葬儀で悲嘆に暮れ、その後は芳井を想って気丈に振る舞っていた充希のことを、過去に一番近くでその二人の睦まじさを見てきたバンドメンバーが気にかけていたのは当然のことで。
しかも表向きの健気さの陰で、悲惨に乱れた性生活を送っていた充希が、ちゃんと立ち直れたことを周囲に報告したいと思ってくれたのであれば、それは歓迎すべきことのはずだ。
「……」
それなのに健の喉はすぐには了承の声を発することができず、二人の間の電波はしばし無音の信号を送った。
『……やっぱなし』
黙り込んだ健の気持ちを汲んで、充希が明るい声を張る。
『言わないよ。忘れてくれ。ごめんな、困らせて』
「あ、違う。そうじゃないんです」
気を遣わせたことに気づいて、健は取り繕うようにかぶりを振った。
情けないことに、充希が自分との関係で立ち直ってくれたことを喜ぶよりも先に、健の頭に浮かんだのは知り合いに自分の性的指向がバレてしまうことへの懸念で。ざわざわと、前髪の下の古傷に血流が集中する感覚にトラウマが蘇る。
それでも、健は前髪を掴んでひとつ息をつき、口角を引き上げた。
恋人の想いよりも自己保身を優先するようでは、この人を支えていくことなんかできるわけがない。
「俺が相手じゃ、却って榎本さんを不安にさせちゃうんじゃないかって思っちゃって。芳井さんとは比べ物にならないくらい頼りないでしょうし。それでいいなら、どうぞ話してください」
自虐して笑って、なるべく落ち着いた声を作る。うまくやれたと思ったのだが、電話の先の充希は不機嫌そうに『おい』と低い声を上げた。
『ルール違反』
「……え?」
『比べ物になるとかならないとか、競わない約束だろ』
指摘されて、健ははっと自分の言葉を思い出す。
――俺とどっちが、なんて比べることもさせません。俺も競ったりしない。
つき合い始めることになった翌日、それを後悔していた充希を引き留めるために、そう言ったのは自分の方なのに。
そこから一月ほどしか経っていないこの時の健は、充希との上手なつき合い方を手探りで模索している最中で、要するにまだとても下手くそだ。なので、充希を傷つけたりも、自分が傷ついたりも、簡単にする。
「……そうでした。すみません」
しゅんとして頭を垂れた健の消沈を察したか、電話越しの充希の雰囲気が、ふと緩んだ。
『いーよ。……俺もわがまま言って、ごめんな。でも、榎本にだけ、報告させて。ちゃんと口止めするからさ。な?』
敢えてなのか、甘えた口調で念を押してくるのに健の心が軽くなる。
時々こうして充希がわがままを通して、健が寛容にそれを受け入れる構図にすることで、健を優位に立たせてくれるのだ。年下で狭量な自分に焦りがちな健は、充希が年上の余裕で立ててくれているのだということはわきまえつつも、それに救われてほっと息をつく。
「……うん。榎本さんに、よろしくお伝えください。柳瀬さんのことは、俺が責任もってお引き受けしますので」
わざと畏まった物言いをした健に、充希も明るく笑ってくれた。